一般社団法人 九州地域づくり協会
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第10回 水と石が織り成す郷愁あふれる景観 湧水の里・竹田の石造り文化

くじゅう山系、阿蘇外輪山、祖母・傾山系に囲まれた盆地・竹田。
阿蘇山系の伏流水が湧き出す山里は、丘陵が複雑に入り組むため、
水路橋をはじめとする石造りの建造物が数多く点在している。

 

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 10-2 熊本から国道57号を東へ。道の駅すごうの手前を右折し、県道640号へ。県道135号との交差点の先で黄色の岩戸大橋を渡り、回りこんだ谷に岩戸橋が架かる。築造は嘉永2年(1849)。橋長28.2m。1連アーチは径間17.4mと長く優美な姿であり、乱積みの壁石は素朴な表情。下流には2本の水路橋も望まれ、時代をまたいだ橋梁建設の歴史がうかがえる。この橋は大分県指定有形文化財の第一号である。
 ここから県道695号を南下し、「円形分水」の案内表示から右へ。田園の道を進むと、新白水トンネルの手前、右脇の畦道に音無井路十二号分水がある。江戸時代に発案された導水路の開削は、明治25年(1892)にようやく完工。10-3しかし、周辺農民の水争いが激化したため、この円形分水が考案され、昭和9年(1934)に竣工。中央から湧き出す水は、円形水槽に設けられた20の分水窓から、一定の割合で3本の水路に分配される。水量の多少に関係なく分配比率が変わらない工夫に、施工者の知恵がうかがえる。現役で活躍する円形分水の側、石碑に刻まれた「水は農民の魂」の言葉が、先人たちの苦難を物語っているかのようである。


日本随一の堰堤美に驚嘆

10-4 県道695号をさらに南へ。県道8号を左に進むと、門田川と県道をまたぐ長大な6連アーチの石橋・明正井路一号幹線一号橋がある。築造は大正8年(1919)。橋長78m、橋幅2.8m。現役の水路橋では国内最大規模。布積みの端正な壁石が、ローマの導水遺跡を思わせる重厚さである。ここから竹田市へ向う途中、長小野湧水、泉水湧水、河宇田湧水などの竹田湧水群を県道沿いに見ることができる。
 市街に入る前に立ち寄りたいのが、日本一美しいと絶賛される白水(溜池)堰堤、通称白水ダム。国指定の重要文化財である。JR豊肥本線の玉来駅の南、県道639号沿いのガソリンスタンドの手前を左折。大野川沿いの農道、谷あいの林道を延々と進み、鴫田駐車場へ。その先に堤高14.1m、堤頂長87.26mの重力式割石コンクリートダムが見える。完成は昭和13年(1938)。流速を制御するため、曲線を取り入れた堤体の優美さ、階段状になって落ちる水「転波」が描くレース模様の華麗さに、誰もが息を飲むことだろう。

 

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「市民石工」の名が残る石橋

 10-6 竹田市街の中心、山手河川公園にある2連アーチの石橋・宮瀬橋は、昭和2年(1927)築造。水害で損傷したため、平成10年(1998)、ここに移設復元された。その際、「市民石工」として移設作業に参加した約800名の名前が、アーチ石に書かれているという。
 市街から国道502号を東へ。総合運動公園入口の交差点を左折し、久戸谷トンネルを抜けた左手の山手にあるのが(廃)久戸谷隧道。竣工は明治20年(1887)と古く、開削方法を推定できる施工跡が残る最古のものだという。
 国道502号を東へ進み、新小田無トンネルの手前から右に入ると、(廃)第四小田無隧道がある。全長99.2mの内部は大部分が素掘りのままで、開削時の息吹きが感じられる。

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アーチ橋の雄大さと美しさ

 市街から国道442号を東へ進み、県道47号へ左折すると、石造水路橋の鏡石拱橋に出会う。完成は明治42年(1909)。濁渕川と県道をまたぐ橋長29mの2連アーチは、径間が異なる独特のフォルムが面白い。
 国道をさらに東へ向かうと、笹無田トンネル手前の左手に、石造2連の若宮井路笹無田石拱橋が現れる。何度かの建造を繰り返して大正6年(1917)に完成。橋長59m、橋幅4m。径間21.5mの現役水路橋が谷をまたぐ姿は雄大である。
 一方、市街から県道638号を西へ進むと、明治40年(1907)築造の石造3連アーチの山王橋がある。橋長は56m。歩車道では市内最長であり、緻密な石積みとアーチの美しさに思わず見惚れてしまう。
 竹田市街は名曲「荒城の月」ゆかりの岡城址をはじめ、歴史や文化に触れられる名所や温泉も数多く、素朴な郷愁にほっと心安らぐことだろう。

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