一般社団法人 九州地域づくり協会
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第12回 海と川とともに暮らす人々 その豊かさを支えてきた
       菊池川流域の干拓施設・橋梁群

玉名・山鹿・菊池は、菊池川温泉郷として知られる熊本県北の観光地。
周辺には近世から近代にかけて築造された数多くの土木遺産が現存し、
人々の暮らしを支えた先人たちの技と知恵を、今に伝えている。 

 

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干拓の歴史を語る堤防

「土木の神様」と称された加藤清正公は肥後入国後、熊本城の築城をはじめ、領内各地で治水工事や新田開発に取り組んだ。玉名地方では天正17年(1589)に着手した菊池川の流路変更と石塘(いしども)築堤が知られている。JR鹿児島本線「玉名」駅から西へ。県道113号を南へ下った菊池川の左岸、ハゼ並木近くの河原には、この清正刎(はね)・石塘が現存し、当時の技術水準の高さを伝えている。
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 12-3 干満の差の大きな有明海に面した玉名地方では、江戸時代から精力的に干拓が進められ、その後期には文化4年(1807)の一番開(ひらき)から慶応2年(1866)の十番開までの新田が造成された。このうち、十番開(旧)堤防の遺構が約1kmに渡って残っている。近代に入ると、明治26年(1893)に明丑(めいちゅう)開と明豊開、同28年(1895)に末広開、同35年(1902)に大豊開の干拓が続々と完成。度重なる潮害で決壊などの被害を受けたが、その都度、補修・改修が施され、昭和42年(1967)の国営横島干拓の完工により、第一線堤防としての役割を終えた。その後、大規模な補修が行われなかったため、結果的に往時のままの姿を保っている。なかでも、明丑・明豊・大豊開の(旧)堤防は、高さ5~6mの石積堤防が約4kmも連なり、万里の長城を思わせる景観を呈している。明治期に起源を持つ干拓施設が、このような規模で残る例は他になく、干拓の歴史を伝える遺産として注目を集めている。
 さらに、石積堤防群の中に、高さ5m以上の石水門3基が集中する末広開(旧)樋門群は、堂々として見応えがある。これらの干拓施設は、さきほどの県道113号から県道327号を南へ下った先、横島町一帯で見ることができる。
 江戸時代、水運の拠点として栄えた高瀬地区。花ショウブで有名な菊池川の支流裏川には、優美な高瀬眼鏡橋が架かる。築造は嘉永元年(1848)。2連の石造アーチ橋は、名石工・橋本勘五郎が手掛けたものと伝えられている

 


世紀を超えて鉄橋復活

 12-4 江戸時代、肥後・熊本と豊前・小倉を結んだ豊前街道。その宿場町として栄えた山鹿は、平安時代から1,000年以上もの歴史を誇る名湯の里である。市街を貫く九州の大動脈・国道3号が、菊池川を渡る所に架かるのが山鹿大橋。昭和28年(1953)に完成した7径間連続ゲルバー橋は、橋長176m、幅員7m。すっきりとした美しいフォルムとともに、親柱に設置された山鹿灯籠のモニュメントが印象的である。
 市街の北、桜とツツジで有名な古刹・日輪寺には、かつて豊前街道の山鹿口に架かっていた湯町橋が移設されている。築造は文化11年(1814)。2連の石造アーチ橋の苔むした姿には、風格さえ感じられる。アーチ頂上のくさび石に刻まれた銘文から、地元の石工が地元の石材を使って架橋したことが読み取れる。
 明治23年(1890)、千歳川(現筑後川)に九州鉄道の千歳川鉄橋が完成する。この九州初の鉄道用トラス橋は、ドイツ製の9連鉄橋という壮大な規模だった。その後、4連が大正期に鹿本鉄道の菊池川橋梁に移設された。このうちの1連だけが、国道325号沿いにある「水辺プラザ鹿本」に、遊歩道として保存されている。

 


アーチ橋で兄弟が競演

 12-5 美人の湯として知られる菊池温泉から、県道23号を南へ走り、県道139号から県道329号を東へ向かうと、合志川に架かる姫井橋に出会う。国内初の鉄筋コンクリート造のタイドアーチ橋で、架橋は大正14年(1925)。緩やかなアーチを描く主構が高欄も兼ねる構造。現在も歩道橋として役立ち、地域で愛されている。
 菊池から国道387号を東へ向かう道は、かつては上津江往還と呼ばれ、旧隈府町から日田に至る要路だった。この国道と県道45号の分岐を左へ向かうと、柏川に架かる立門橋がある。万延元年(1860)完成の1連の石造アーチ橋だが、橋長75mの堂々たる勇姿である。石工は、あの通潤橋(熊本県上益城郡山都町)を架けた宇一。壁石に漆喰(しっくい)を埋め込んだ「立門」の文字は、完成時のものであり、石工たちの誇らしさが伝わってくる。
 前記の県道45号を右折し、菊池渓谷へ向かう右手に、永山橋がある。こちらも1連の石造アーチ橋で橋長61m。完成は明治11年(1878)。石造りの丸型の高欄や擬宝珠柱は、石工・橋本勘五郎の特徴。実は勘五郎は宇一の弟であり、ここでは兄弟の石造アーチ橋の競演が見られるのである。

 


古代史好きも自然派も

 菊池川温泉郷は観光ポイントも豊富。かつての芝居小屋の風情を体験できる八千代座は、一見の価値がある。古代史ファンにお勧めなのが、山鹿市立博物館に申し込めば、内部の見学もできるチブサン古墳や、7世紀後半に大和朝廷が築いた古代の山城・鞠智城など。自然好きなら、四季それぞれの美しさを見せる爽快な菊池渓谷を訪れてみたい。

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