一般社団法人 九州地域づくり協会
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第14回 暴れ川の顔を持ちながら、人々に恵みをもたらす大河。
筑後川を往く

阿蘇の外輪山に源を発し、大地を潤して有明海へと注ぐ大河・筑後川。その広大な流域には、治水・利水を支える土木遺産が数多く残り、郷土の発展を願った先人たちの知恵と技の歩みを、いまに伝えている。
山田堰

【7】山田堰 やまだせき





洪水を防ぐ上下のダム

松原ダム

【1】松原ダム まつばらだむ



 「筑紫次郎」の異名を持つ筑後川は「坂東太郎」の利根川、「四国三郎」の吉野川と並んで、日本の三大暴れ川に数えられ、様々な歴史を刻んできた。昭和28年(1953)には被災者数約170万人という大洪水が発生し、これを機に治水計画が大幅に見直された。
 大分自動車道の日田ICから国道212号に乗り、国道210号の日田バイパスへ。再び国道212号に移り、道の駅「水辺の郷おおやま」を経由して大山川沿いを走ると、下流の松原ダム【1】(堤高83m・重力式コンクリートダム)、上流の下筌ダム【2】(堤高98m・アーチ式コンクリートダム)が姿を見せる。両ダムは大洪水を受けて同じ河川の上下に建設された洪水調節のダムであり、完成後は一体的に管理運用される全国でも珍しい構成である。
 国道210号の日田バイパスを西へ行き、白手橋信号の手前を右に入ると、文化3 年(1806)に架橋された筏場眼鏡橋【3】がある。昨年7月の集中豪雨で、右岸の壁石を流失しながら、アーチ部分だけは堅固に残存。建設時の技術水準の高さを物語っている。


下筌ダム

【2】下筌ダム しもうけだむ


筏場眼鏡橋

【3】筏場眼鏡橋 いかだばめがねばし



新田開発を支えた三堰

原鶴分水路

【4】原鶴分水路 はらづるぶんすいろ



 国道210号をさらに西へ。道の駅「うきは」を過ぎた右手、大きく曲がる筑後川の流れの中に原鶴分水路【4】がある。先の大洪水の後、千年分水路、大石分水路とともに整備された掘割水路であり、完成は昭和54年(1979)。現在は洪水被害の軽減とともに、地域に欠かせないイベント空間として活用されている。先ほどの国道210号をそのまま西へ行けば、久留米市街の手前に道の駅「くるめ」がある。
 この分水路の上流には、延宝2年(1674)建造の大石堰【5】(堰長257m)があり、下流には正徳2年(1712)完成の恵利堰【6】(堰長177m)と、寛文2年(1790)築造の山田堰【7】(堰長309m)がある。これらは江戸時代、新田開発のために築かれた灌漑施設であり、「筑後三堰」と呼ばれて、現在も流域の農地を潤している。なかでも山田堰は、築造に伴って朝倉三連水車が作られ、観光名所となっているほか、アフガニスタンで支援活動を展開するペシャワール会の中村哲医師が、水路建設の手本としたことで注目されている。


大石堰

【5】大石堰 おおいしせき


恵利堰

【6】恵利堰 えりせき



 風情ある石と煉瓦の橋

  筑後川の右岸を走る国道386号沿いには道の駅「原鶴」がある。この道は江戸時代、「日田往還」と呼ばれた要路であり、朝倉市の西端に久保鳥橋【8】が架橋されたのは安政5年(1858)のこと。4連の切石の桁橋はシンプルな形状。国道と平行する生活道路として現役で活躍中である。“筑前の小京都”と言われる秋月城下では、優雅な曲線の秋月眼鏡橋【9】が美しい。文化7年(1810)の架橋だが、花崗岩の石橋は珍しいとされており、必見である。
 九州初の鉄道橋として明治22年(1889)に建造された城山三連橋【10】は、煉瓦造りのアーチ橋。ドイツ人技師を顧問に招き、資材もすべてドイツから輸入したとか。いまは鳥栖・筑紫野道路の脇の道路橋として使われている。一方、JR鹿児島本線の羽犬塚駅と西牟田駅の間、明治24年(1891)に架橋された倉目川橋【11】も煉瓦のアーチ橋。100年以上経ったいまも現役の鉄道橋である。


久保鳥橋

【8】久保鳥橋 くぼとりばし


秋月眼鏡橋

【9】秋月眼鏡橋 あきづきめがねばし


城山三連橋

【10】城山三連橋 きやまさんれんばし


倉目川橋・函渠

【11】倉目川橋・函渠 くらめがわばし・はこきょ



水運に貢献した昇開橋

筑後川の河口に架かる昇開橋と朝日

筑後川の河口に架かる昇開橋と朝日



 昭和10年(1935)、旧国鉄佐賀線の鉄道橋として開通したのが、河口近くに架かる筑後川昇開橋。橋長506.4mの中央部分が昇降し、大型船が航行できる構造。人々に愛され、貴重な観光資源として、遊歩道として活用されている。昇開橋から三潴郡大木町へ向かう国道442号バイパス沿いに道の駅「おおき」がある。
 久留米市の西、県道22号を進み、三養基郡みやき町へ。筑後川の右岸に築造された千栗堤防【12】がある。完成は寛永20年(1643)。治水の名人と讃えられた鍋島藩家老の成富(なりどみ)兵庫茂安の設計。全長約12kmにも及ぶ二重堤防であり、遊水池を巧みに確保した構造はさすがである。  神崎市内の県道21号の脇を流れる筑後川の支流・城原川は、昔からの治水・利水の仕組みが現存する河川。洪水時の流量調整の工夫を取り入れた三千石堰【13】、下流への水量を保ちながら取水する草堰、堤防の一部を低くして洪水を田畑に逃がす野越など、貴重な伝統的工法を見ることができる。この県道をさらに山手に進むと、佐賀県内では珍しい石造アーチ橋・脊振眼鏡橋【14】に出会う。竣工は明治24年(1891)。渓谷に建つ堂々たる眼鏡橋の姿は感動的でさえある。


千栗堤防

【12】千栗堤防 ちりくていぼう


三千石堰

【13】三千石堰 さんぜんごくせき


背振眼鏡橋

【14】背振眼鏡橋 せぶりめがねばし

 

 

 

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