一般社団法人 九州地域づくり協会
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第16回 涼やかな渓流が暮らしの礎を潤し、網の目のような道が山野を結ぶ。
 古の豊後路探訪

 山深き豊後の国の人々は、急峻な山裾を下る流れの傍らに郷土を築き、質朴の日々を営み、山河とともに時を歩んでいる。


新田開発もたらす水路

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【1】 乙原貯水池、堰堤、取水塔

  入浴できる温泉のうち、世界一の湧出量を誇る大分・別府温泉。市街から観光施設「ラクテンチ」に向かって県道52号を西へ。左手にNTT別府ビルのある交差点を左折。朝見バス停を右へ入り、朝見浄水場の上にある三差路から右へ細い道を進むと、樹林の間に乙原貯水池、堰堤、取水塔【1】が現れる。長さ60.6mの堰堤中央に立つ三角屋根の取水塔は、赤白の煉瓦造り。竣工は大正6年(1917)。貯水量は5,400立方メートル。100年近い時を刻んだ姿には風格さえ香る。

 

  JR日豊本線「大分」駅北西の起点から国道210号を南へ走り、大道バイパスの手前で国道
442号へ入る。「下芹」交差点を過ぎ、再び国道210号に移って西へ向かう。この道筋がその昔、大分と熊本を結んだ「豊後街道」である。途中、横瀬小学校へ入る道で左折し、少し進むと左手の畑に突然、第三区明治大分水路橋【2】が雄姿を見せる。橋長32.2m、橋幅4.7m。堂々たる煉瓦積みの二連アーチ橋だ。この地一帯の水路工事は明治30年(1897)に着工。幹線32km、支線41kmが同39年(1906)に完成する。農業用水が大規模に整備されて新田開発が進められ、郷土の発展に繋がっていくのだ。

【2】 第三区 明治大分水路橋


神前清める秀麗な石橋

 JR豊肥本線「敷戸」駅の西側、国道10号を南へ。「東木団地入口」交差点から西に折れ、右手にスーパー「マルショク」のある交差点を左折し、道なりに進む。途中から寒田川の桜並木に沿って走ると、西寒田神社前の参道に万年橋【3】が架かる。築造は幕末の文久2年(1862)。橋長22m、径間11mの割にアーチ高が低く、軽やかで秀麗な弧を描くが、渡ってみると重厚感にあふれた石造橋である。


 先の国道10号を臼杵市野津町の「日当三差路」交差点まで南下し、国道502号に入って約3km。左手の旧道に石造アーチの初月橋【4】が草藪に埋もれている。すぐ傍らにコンクリート橋が新造された後、現役を引退し、その役割を譲っている。


 野津町の国道10号に戻って南へ。野津町商店街のゲートを左に入り、県道204号・633号を東へ。八里合神社の先、臼杵川の上流側、右手に近戸橋【5】が見える。橋長26.7m、径間23.7m。築造は明治26年(1893)。かつては風連鍾乳洞と臼杵石仏を結ぶ観光路線を支えた石造単連アーチ橋。現在、その優美な曲線は緑の草木に彩られている。 豊後大野市犬飼町の「久原」交差点から国道326号を南へ走ると左手に、地元の農作物が充実した道の駅「みえ」がある。

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【3】 万年橋

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【4】 初月橋

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【5】 近戸橋


外人設計の堅固な桁橋

【6】 安政橋

 国道10号は野津町の南で、野津川を渡る。その明治橋の上流に安政橋【6】が見える。橋長29.3m、径間23.2mの石造単連アーチ橋は、すっきりとした端正な姿が印象的。築造は安政7年(1860)であり、これが橋名の由来。後に石組みが緩んで崩壊。二代目が大正6年(1917)に再建され、橋上には歩道と水路が並列で整備されている。


 ここから国道10号をさらに南へ進み、風連鍾乳洞方面へ。大分バス「割後場」バス停の先から左の山道に入る。これがニガキ台の中腹を巡る旧道であり、峠の手前に橋長2.4mの(廃)箕ケ谷橋【7】。さらにその先、ともに橋長2,5mの(廃)松株橋と(廃)峠橋松株橋【7】がある。ドイツ人技師の設計と言われる箕ヶ谷橋は、先端を丸めた迫石(せりいし)を円弧上に積み上げて桁石を支える典型的な迫持式桁橋。他の2橋も含めて築造は明治30年(1897)だが、現在も大きな崩れは見られず、堅固な姿を維持している。


 細く曲がりくねって危険だった旧道に代わり、現在の国道10号が整備され、昭和38年(1963)に中ノ谷トンネル【8】が開通。
全長895.7m。幅8.8m。以後、急増する道路交通にも対応し、十分に役割を果たしてきた。


 トンネルを抜け、道なりで国道10号を進むと、入浴施設も併設した道の駅「やよい」がある。

【7】 (廃)箕ケ谷橋(左)、(廃)松株橋(右上)、(廃)峠橋(右下)

【8】 中ノ谷トンネル

河川の蛇行が洪水招く 

 そのまま国道10号を南下し「番匠」交差点から国道217号に入る。「杉谷」交差点で右折し、中江川を渡って右へ進むと、番匠川の広大な河川敷に到着する。

 昭和18年(1943)、番匠川水系では洪水による甚大な被害が発生。河口部の池田地区では昭和26年(1951)から改修工事が開始された。延長約2kmに及ぶ池田捷水路【9】をはじめ、中・下流部の掘削や護岸、河口部の高潮堤などの工事が実施され、昭和38年(1963)に完成した。捷水路とは河川の蛇行部を真っ直ぐに整備し、洪水を安全に流す水路のこと。こうした改修技術には、幾世代もの先人たちの経験が結実しているのだ。佐伯市から国道217号を北へ。津久見市、臼杵市を経て大分市佐賀関へ向かい、国道197号に移って西へ進むと、道の駅「佐賀関」が関サバ・関アジ料理や多彩な海産物で迎えてくれる。

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【9】 池田捷水路

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