第17回 幾多の橋に結ばれた教会と歴史の道。海山に受け継がれる水利と架橋の技。
ながさきサンセットロードを往く
異国情緒で語られることが多い長崎だが、現地を訪ねてみると…。 |
明治期の水道施設健在
長崎自動車道「諫早」ICから国道207号を西へ走り、諫早市の多良見町舟津で県道33号へ左折。
西肥バス「中通」バス停から左に入ると、JR長崎本線をくぐる。そこに道路をまたぐ伊木力橋梁【1】と、川をまたぐ山川内(袴川)橋【2】が並ぶ。
築造はどちらも明治31年(1898)。放物線状のアーチを描く総石造りの鉄道用拱渠は、大変に珍しいものだという。
西九州自動車道「佐世保中央」ICから国道204号に出て北上。 佐世保市の春日町交差点を右折して山手に向かうと、明治41年(1908)に建造された山の田(貯水池)堰堤、溢流路【3】が、高さ24.5m、延長310mという雄姿を見せる。 |
さらに、同国道を北へ。同市吉岡町で県道11号に右折し、ファミリーマート「佐世保妙観寺店」前から右の山手に入る。 幾度か折れ曲がり、西肥バス「十文野」バス停を過ぎた右手の森の奥に岡本第二貯水池【4】がある。 明治34年(1901)に竣工。湧き水を貯める直径約60mの円形貯水池は、同市でも初期の水道施設だ。 さらに、県道11号を北上し、妙観寺トンネル手前から右へ進むと、右下の谷に昭和15年(1940)に完成した重力式ダム菰田(貯水池)堰堤【5】が現れる。 延長は387.7m。高さは40m。戦前の水道用コンクリートダムとしては最高の堤体だという。 |
“竹筋”の鉄道橋も活躍。
妙観寺トンネルを抜けて県道40号を北へ。途中、同市吉井町を流れる佐々川に優美な樋口橋【6】が架かる。竣工は大正11年(1922)。石造りの2連アーチは橋長36m。
皇居の二重橋を模したとされ、今も現役として機能している。吉井町を貫く国道204号を西へ。同市佐々町役場の手前から県道18号に移り、つづらダム方面に進むと、同市小佐々町の大西川畔に西川内橋・護岸【7】が残る。
両岸に続く空石積みの護岸にも、単連アーチの石造橋にも、質朴堅牢な表情が漂っている。ここから西の海際へ。東経129度33分18秒に位置する神埼鼻は、日本本土最西端の地である。
前記の吉井町から国道204号を北へ。住吉の交差点から県道40号へ進むと、堂々としたコンクリート3連アーチの福井川橋梁【8】に出会う。昭和17年(1942)、旧国鉄の鉄道橋として建造された。戦時中の鉄材不足のため、鉄筋ではなく“竹筋”だと推定されるが、今も松浦鉄道西九州線の橋として現役で活躍中だ。
この県道40号を北へ進み、左に折れた海沿いに、地元の海産物が豊富にそろう道の駅「松浦海のふるさと館」がある。
吉井町から国道204号を西へ走ると、平戸市田平町に道の駅「昆虫の里たびら」があり、巨大なカブトムシの立体看板が人々を驚かせる。
伝承され、結実する技
九州本土から平戸大橋を渡って平戸島へ。市街中心の平戸市役所前、両岸に石垣が続く戸石川に石造単連アーチの幸橋【9】が架かる。元禄15年(1702)に架橋された国の重要文化財。壁面の石組み、曲線の石造高欄などが繊細で美しい。 約400年前、この地にオランダ商館が開かれたとき、その石造建築に携わった石工の技術が伝承され、このアーチ橋に結実したとされる。だから、別名“オランダ橋”である。 |
ここから県道19号を西に走り、生月大橋を渡った左手にある道の駅「生月大橋」。海辺に散策路が整備され、開放感にあふれた眺望に心が躍る。
このエリアで見逃せない土木遺産と言えば、日本の橋梁史に燦然と輝く西海橋【10】だろう。
JR「佐世保」駅前の国道35号を東南へ走り、田の浦町交差点から国道202号に入り、そのまま進むと、大村湾口に架かる真っ赤な長大橋が現れる。
昭和の初めから建設が望まれた西海橋は、4年の歳月をかけて昭和30年(1955)に完成。最大支間216mは当時、東洋一の規模。最先端の橋梁建設技術は受け継がれ、後の長大橋に反映されていく。
同国道をそのまま走り、西海市の川内交差点で県道43号に左折して進むと、観光案内所を併設した道の駅「さいかい」がある。そのまま西へ走り、国道202号に出て南へ進むと、遠藤周作文学館に隣接した道の駅「夕陽が丘そとめ」と出会う。晴天には五島列島も眺望できる絶景が楽しめる。
今回、訪ねた長崎県西海岸の国道202号、35号、204号、383号などの周辺エリアは、美しい夕陽が見られる教会と歴史の道「サンセットロード」として人気を集めている。