一般社団法人 九州地域づくり協会
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第21回 多彩な自然に彩られた豊後路の、物流とネットワークを支えた石造橋梁
 豊後路に架かる優美な石橋群を巡る

深い谷筋が刻まれ、急流が走る豊後路の山々には、九州のなかでも、より多くの石橋が架設されている。

段々畑の石垣や水路を築くため、石工の技が発達。

洪水や台風によって度々流失する木橋に代わり、堅牢な石橋が築造され、人とモノの交流に大きく貢献。

郷土の豊かな繁栄を支える基盤となってきたのである。


日本一の石橋のまち

 大分自動車道「玖珠」ICから国道387号を北上、または東九州道「院内」ICから南下すると、宇佐市院内町に至る。深い谷筋に集落が点在する地形であり、急流に架かる木橋は度々流されるため、同町には江戸末期から昭和初期にかけて築かれた石橋76基が残り、「日本一の石橋のまち」をアピールしている。なかでも県道沿いに流れる恵良川には、多くの石橋が架かる。上流の温見地区にあるのが3連アーチの石橋・分寺橋【1】。大正初期の築造だが、昭和20年(1945)に大改修されている。戦時中にもかかわらず丁寧に石材が整形され、繊細な石積みで洗練された造形美を描いている。

 少し下流には、どっしりとした太い橋脚と水切台が印象的な3連アーチの石橋・富士見橋【2】が現れる。この橋から豊後富士と呼ばれる由布岳が見えることから、この名前が付けられている。大正13年(1924)、架設工事中にこの橋が突然、大崩落。石工の名棟梁として知られた松田新之助は、私財の田畑を売り払い、棟梁の意地と信念で再び着工。翌年、見事に完成させている。

 同県道沿いにある道の駅「いんない」の西、スラリと伸びた橋脚が美しい2連アーチの石橋・荒瀬橋【3】がある。この橋も松田の施工で、橋高18.3mは町内で最も高い。大正2年(1913)竣工。負債削減のため、大分県下で最初の有料道路として共用された。灯籠風の親柱は昭和初期の修理の名残と伝えられている。

【1】分寺橋 ぶじばし

【2】富士見橋 ふじみばし

【3】荒瀬橋 あらせばし

気品ある石橋の貴婦人

 さらに下流、静かな水面に優美な影を落とす御沓橋【4】が架かる。橋脚と水切台が長く、優美な曲線を描く3連アーチの石橋。施工は同じく松田で、橋長59mは町内最長。竣工は大正14年(1925)。工期1年4か月、総工費2万円。当時の日当は石工が3円50銭、大工が2円70銭だったらしい。

 駅館川との合流地点のやや上流に架かる5連アーチの石橋・鳥居橋【5】も松田の施工。すらりと長く伸びた橋脚、壁面の緻密な石積み…。気品さえ漂う姿から「石橋の貴婦人」と呼ばれている名橋である。この橋は昨年築造100年を迎え、9月17日宮崎県「橋の日」実行委員会が地元と共に祝った。この鳥居橋のほか、分寺橋、富士見橋、荒瀬橋では夜間にライトアップが行われている。

 中津市から県道664号を南下し、バス停「久保」から東へ。ここから谷筋に沿って登るのだが、道を間違えやすいので慎重に。事前に綿密な調査が必要。中津市と宇佐市の境界まで登ると、(廃)キリズシのトンネル【6】が現れる。キリズシとは切通しが訛ったもの。全長約80m、幅2.4m。明治3年(1870)完成後、人・馬車道として大いに活躍したが、現在は通行不可。壁面には手掘りのノミ跡が残り、往時の人々の苦労がしのばれる。

 全国に約4万社ある八幡宮の総本社・宇佐神宮。その西参道が寄藻川を渡るところに、長大な唐破風の屋根を持つ呉橋【7】が架かる。橋長約25m、幅約3m。創建年代は不明だが、鎌倉時代という推定もある。桁、柱、長押、腰板は朱、格子窓は緑、壁は白という華やかな配色が印象的である。

【4】御沓橋 みくつばし

【5】鳥居橋 とりいばし

【6】(廃)キリズシのトンネル

 

【7】呉橋 くればし

殉職者を悼む堰堤の名

 国東半島を巡る国道213号を宇佐方面から進み、古くから海運の拠点であった香々地港へ。漁協の海側に香々地新波止地区防波堤【8】が、周防灘に向かって伸びる。全長124m。明治末期から大正初期に築造された大規模な野面の空積防波堤は、保存状態がよく、建造時の面影を伝えている。

 同国道をぐるりと回り、杵築市で県道49号へ。さらに県道644号に移って西へ進むと、八坂川に架かる(廃)妙見橋【9】がある。地元の僧侶が資金を集め、大正8年(1919)、橋長約46m、幅3間のRC桁橋を築造。老朽化した橋は草藪におおわれ、現在は隣に新橋が架設されている。

 赤松交差点から国道10号を北に進むと、西側に赤松橋【10】が見える。太く安定した水切台と橋脚、親柱の外側に袖高欄を設けた重厚な2連の石造めがね橋。難工事の末に完成し、幾度もの洪水を乗り越えて華麗な姿を留めている。

 宇佐市安心院町を走る国道500号沿い、東椎屋地区の西側に宮崎堰堤【11】がある。堤高13.5m、堤頂長43.31mのアーチ形式の砂防ダム。昭和34年(1959)竣工。当時の宮崎孝介・大分県砂防課長が事前の岩盤調査時に殉職されたことから、この名前が付けられた。

 豊後地域での道の駅は、国道387号沿いに「童話の里くす」と「いんない」、国東半島には「くにみ」と「くにさき」があり、特産品が豊富である。

 この宇佐市院内町で「日本の石橋を守る会」第38回総会が5月13日開催され、現存する石橋を守り、その文化的価値を後生に継承する会の活動が紹介された。

【8】香々地新波止地区防波堤

   かかじしんはとちくぼうはてい

【9】(廃)妙見橋 

   (はい)みょうけんはし

【10】赤松橋(赤松めがね橋) あかまつばし

【11】宮崎堰堤 みやざきえんてい

 

道の駅「くす」

道の駅「いんない」

道の駅「くにみ」

道の駅「くにさき」

 

 

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