一般社団法人 九州地域づくり協会
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第22回 理想を追い、かなえようとする意志が、故郷の山河の随所に刻印されている。
 五ヶ瀬川の渓流と詩情の日向路を訪ねて

「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」 牧水

日向に生まれ、酒と旅を好んだ漂泊の歌人は、寂しさのない理想郷を求め、人生という旅を続けた。

豊かな自然と歴史が息づく五ヶ瀬川の流域と日向路では、そこに暮らす人々の理想を、土木遺産が確かに支えていた。

【5】綱ノ瀬川橋梁 つなのせがわきょうりょう


高度な技術水準の証

 九州の東の海岸線沿いをつなぐ国道10号は、日向市の南郊で耳川を渡る。その先で県道51号へ曲がると、優美な姿がひときわ目を引く美々津橋【1】が現れる。橋桁がアーチの上にくる上路式路面とアーチの間がトラス構造であるこの橋は、スパンドレル・ブレーストアーチ橋と呼ばれる。昭和9年(1934)の完成時、国内最大のスパンだったという。戦後、進駐軍の指示による宮崎県第1号の修復事業であった。

 県道経由で進み、国道327号を西へ。道の駅「とうごう」から国道446号へ曲がった先から小丸川を渡り、県道22号を進むと、松尾ダムのダム湖をまたぐ尾鈴橋【2】が見える。アーチの支点部を部材で結合させた、しなるような独特の曲線を描くタイドアーチ構造であり、日本で初めてケーブルエレクション工法が採用された。橋台上に建てた鉄塔の間にケーブルを張り、部材を施工場所まで搬送し、順に組み立てる工法であり、後の架設技術の発展に大いに貢献した。竣工は戦後復興期の昭和25年(1950)であり、当時の技術水準の高さを伝える貴重な存在である。

 この尾鈴橋を訪れる途中、東郷町坪谷には、酒を愛し、旅を愛し、自然を愛した歌人・若山牧水の生家が保存され、近くには「若山牧水記念文学館」が整備されている。

【1】美々津橋 みみつはし

【2】尾鈴橋 おすずはし

 

秀麗な3連アーチ橋

 国道10号の日向市原町交差点から北西方向に約2㎞、富高集落の雑貨店・岩切商店の角を西へ曲がると本谷昭和橋【3】がある。流量は少なく、川幅も広くない富高川に架かる3連の石造アーチ橋。橋長18.87m、幅員2.8mと大きくはないが、緻密で端正な石組みが美しい。2層に積んだアーチを支える橋脚はすっきりと細く、要石のすぐ上に橋面が設けられ、軽やかな形状。周囲の広場には集落の人々が季節の花を植えるなど、地域に愛されている現役の石橋。架橋は昭和2年(1827)。石工は鹿児島県薩摩川内市で修行したとされる小山宇太郎である。

 国道10号を北に走って五ヶ瀬川を渡り、延岡市昭和町交差点から西に折れ、国道218号へ。瀬之口町交差点を南に折れると、五ヶ瀬川の両岸に珍しい畳堤【4】が980mもの長さで続いている。高さ60㎝の鉄筋コンクリート製の堤防は、欄干状の上端に幅7㎝の隙間が設けられた構造。増水時には周辺住民が畳を運び、隙間にはめ込んで洪水を抑えたという。かつては市内数か所に築造され、総延長は2㎞にも及んでいたそうだ。昔から水害に悩まされてきた延岡の先人たちの知恵と言える。築造されたのは大正末期から昭和初期であり、同様の畳堤は岐阜県の長良川、兵庫県の揖保川にも造られたが、延岡のものが最古とされている。

 

【3】本谷昭和橋 ほんたにしょうわばし

【4】五ヶ瀬川の畳堤 ごかせがわのたたみてい

廃線跡を彩る鉄道橋

 かつては延岡市と神話の里・高千穂町を結んだJR高千穂線は、路線距離50㎞に1 9 駅が置かれていた。平成元年(1989)に第三セクターの高千穂鉄道に転換されたが、平成17年(2005)の台風被害で運行休止となり、残念ながら3年後に全線廃線となっている。

 延岡市内から国道218号を西に向かって五ヶ瀬川の上流へ。日之影町に入り、鹿川渓谷への案内板に従って南側へ斜めに降り、県道237号を下流側に進むと、綱ノ瀬川との合流点に旧高千穂線・槙峰駅跡がある。ここに架かるのが、廃線となった高千穂線の鉄道橋である綱ノ瀬川橋梁【5】。径間7mの42連アーチと、径間45mのメインアーチが連続する鉄筋コンクリート橋の雄大な景観は、対岸から一望することができる。

 険しい鹿川渓谷での架設であり、工費抑制のため、この橋では鋼橋で多く用いられるカンチレバー・エレクション工法を実験的に採用。地上に支保工が設けられない場合、橋脚や橋台から両側にバランスを取りながら張り出し施工するもので、昭和12年(1937)の完成後、稀少事例として土木関係者の視察が相次いだということだ。

 五ヶ瀬川沿いに伸びる県道237号をそのまま上流へ。八戸ダム上流で川を渡る第三五ヶ瀬川橋梁【6】も、同じく旧高千穂線の鉄道橋であり、完成は昭和14年(1939)。274.8mの橋長は2種の工法が融合した特殊な構造。鉄鋼の斜め材を交互に組み合わせた径間46.8mの上路ワーレントラス橋と、橋脚部材を斜めに配置した径間17.2mの19連RC方杖ラーメン橋が連続する。渓谷の緑と清流の水面にトラスの渋い赤色が美しく映える。

 さらに上流の対岸、同じく鉄道橋だった第一、第二小崎橋梁【7】が岸壁に連なっている。ともに上路コンクリートアーチ橋であり、第一は橋長103.8mで12連、第二は橋長51mで6連がほぼ連続。清流に張り出した岩床をまたぐように、18連ものアーチがリズミカルに並ぶ姿には、軽快な美しささえ感じられる。

【6】第三五ヶ瀬川橋梁

   だいさんごかせがわきょうりょう

【7】第一、ニ小崎橋梁

   だいいち、だいにこざききょうりょう

県境越えた治水事業

 延岡市から国道10号を北へ向かい、国道326号との分岐を北西に進む。大分県佐伯市に入り、桑の原トンネルを抜けた右側の谷間にあるのが北川ダム【8】。五ヶ瀬川水系の北川に洪水調節と発電を目的に、昭和37年(1962)に建設されたもの。県境をまたいで水系を一本化した総合開発事業であり、洪水調節など北川下流域の治水に現在も大きく貢献している。

ダムの貯水は北川発電所に送られ、最大25,100kwの発電に利用された後、北川に放流されている。この多目的コンクリート・アーチダムは堤高82m、堤頂長188.3m、有効貯水容量3億3,470万㎥。そのダム湖はヘラブナやワカサギの釣り場として、ファンにはよく知られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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