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第3回 石工の里 東陽町 目鑑橋探訪

川面に優美な姿を映す石造りのアーチ橋。
いわゆる目鑑橋は、九州各地に数多くが築造されている。
なかでも「種山石工」の発祥地である熊本県八代市東陽町では、暮らしの中で
今も活躍している多くの目鑑橋と出会うことができる。

 

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 九州自動車道の松橋lCと八代lCの間、国道3号の宮原交差点から東に折れて国道443号に入る。道は氷川を左手に緑深い渓谷を進み、4㎞ほどで東陽町の中心街に出る。左に東陽交流センター「せせらぎ」のある南交差点を左折。小学校を過ぎて左へ入ると、見事な石造りの建物が見えてくる。石橋と石工の資料館「石匠館」である。
 世界的な建築家・木島安史氏の設計により、平成6年に開館。カーブを多用した壁面やアプローチに、多彩な石積み工法を見ることができる。左手が「石工の里歴史資料館」であり、入るとまず巨大な支保工模型に迎えられる。目鑑橋の構造を支えるのは、アーチ型に連なる輪石であり、この上に壁石が積まれる。支保工とは、築造時に輪石と壁石を支える木組みであり、架橋後には取り払われる。再現された模型は、上益城郡山都町にある有名な「通潤橋」の約1/3のスケール。その迫力には誰もが圧倒されることだろう。

 

 3-kasamatsu この東陽町は江戸末期から大正初期にかけて、各地で数多くの目鑑橋を築いた石工集団「種山石工」の発祥の地であり、町内には20もの目鑑橋が現存している。館内では、それらの目鑑橋群や種山石工の紹介をはじめ、目鑑橋の築造工程を解説する映像、ころや滑車など石材運搬の工夫を体験できるコーナーなど、石橋文化を多彩な視点で紹介している。なかでも輪石の模型を連ね、自分で目鑑橋を架ける実験コーナーは興味深い。石工になった気分で、ぜひ挑戦してほしい。
 ここで種山石工について簡単に紹介しておこう。江戸後期、石匠館の前の鍛冶屋谷に住み着ついた林七は、文化元年(1804)頃、谷に上橋、中橋、下橋を架けたと伝えられ、林七を祖とする種山石工が誕生する。林七の娘婿・岩永三五郎は、上益城郡美里町に県内最古の水路橋「雄亀滝(おけだけ)橋」を架橋。薩摩に招かれ、甲突川に五大石橋を架ける。この後、種山石工集団は県内各地で「霊台橋」「通洞橋」などの名橋を手がけ、次第に名声を高めていく。そして林七の孫・橋本勘五郎は明治政府に招かれ、東京で皇居の二重橋、万世橋、浅草橋などを架橋し、全国に種山石工の名を広めたのである。
 石匠館の前を流れる西原川には、林七が架けた鍛冶屋三橋が現存。最上流には名工・勘五郎が自然石を積んだ「大久保自然石橋」が残り、途中にはその生家と墓所もある。
 3-arch2 氷川支流の河俣川には、土木遺産に選定された「笠松橋」が優美な姿を見せる。築造は明治2年(1969)。石工は同じく勘五郎。輪石が描くアーチと野面積みの壁石との対比が趣深く、石工の技の源を見るかのようだ。この橋が今なお現役として活躍していることは頼もしい限り。一帯は公園として整備され、夜にはライトアップされた橋が、闇に浮かぶ幻想的な光景を見ることができる。
 町内には、この笠松橋の上・下流に2つの目鑑橋が残るほか、河俣川支流の美生川に4橋、同じく小浦川に6橋、さらに氷川沿いに2橋が架かる。風雪に耐えてきた目鑑橋が山里の農道として、あるいは補強され車道として、本来の役割を果たしている姿は、訪れた人に深い感銘をもたらすことだろう。

 石橋の里・東陽町は、生姜の産地としても知られ、谷合いの美しい段々畑で生姜が栽培されている。新生姜が採れる秋には、その美味しさを楽しみに訪れる人も多いという。

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目鑑橋のある景観。そこには地域の歴史が息づいている。

3-kamiduka 全国に約1700基が築かれたといわれる目鑑橋ですが、熊本県ではおよそ650基が造られ、現在330基が残っています。なかでも江戸末期の築造は150基にも及び、数の多さでは断然、日本一です。
 その理由としては、肥後藩が江戸後期に年貢を引き下げ、請免制を導入したこと、阿蘇山の噴火で流れ出た熔結凝灰岩が石材として適していたこと、これに種山石工集団の優れた架橋技術が加わったことなどが考えられます。木造の橋はどうしても出水で流失するから、当時の人々は永代不朽の橋、特に橋脚のない目鑑橋を切望したのでしょう。

 目鑑橋の築造技術は、中国やオランダから長崎へ伝えられ、それが九州へ広がった、と従来は考えられてきました。3-sekishokanしかし、アーチ構造は同じでも壁石の造り方など、各地で独自の創意工夫が加えられています。この東陽町にも見事なアーチ型をした白髪岳天然石橋という景勝があります。これを間近に見ていた種山石工の人々が、その姿形に触発されて新たな着想を得た、ということもないとはいえません。
 重厚でありながら繊細な目鑑橋は、実に多くのことを語りかけてきます。それぞれの橋に込められた石工たちの知恵と技、土地の人々の願い。歴史を伝える目鑑橋のある景観を大切にすることが、今、私たちに求められています。

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