一般社団法人 九州地域づくり協会
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第4回 椎葉から高千穂へ~ 耳川水系ダム紀行

山深い九州山地に源を発する耳川水系には、
8つの水力発電ダムが建設されている。
なかでもダム建設の新技術を開拓した塚原(つかばる)ダム、
黒部ダムにつながる大規模アーチ構造の端緒を開いた上椎葉ダムは、
九州が誇るダムの金字塔といえるだろう。

 

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 九州自動車道の松橋ICから国道218号を東へ走り、山都町の馬見原交差点で南に折れて国道265号へ。この道は「ひむか神話街道」と名付けられた歴史探訪ルートであり、北の高千穂町から南の高原町まで宮崎県を縦断している。五ヶ瀬町を過ぎ、国見トンネルを抜けると、九州山地の秘境・椎葉村である。
 この椎葉村を流れる二級河川の耳川は、国道327号沿いに東へ下って日向灘に注ぐ。
この耳川水系は早くから水力発電の適地として注目され、昭和13年には諸塚村の塚原上流に塚原ダムが完成する。
 日本初の80m級の堤高を実現した塚原ダムでは、中庸熱セメントの開発や玉石を用いない硬練コンクリートの採用など、新素材を積極的に取り入れたほか、日本初の可動式ケーブルクレーンを設置し、近代的な機械化施工をはじめて導入。堤頂部に万里の長城を思わせる凹凸を持つ優美なハイ・ダムであり、戦前の貴重な土木遺産として国の登録有形文化財に指定されている。この工事では建設資材や食料などを、40kmも離れた延岡市から索道を使って運んだというから驚きである。

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 4-shiiba 塚原ダムから耳川の上流へ向かうと、椎葉村の谷あいに美しいダムが姿を見せる。
日本初の100m級の大規模アーチダムとして知られる上椎葉ダムである。建設地は戦前に選定されていたが、戦局の悪化で計画は中断。戦後、北九州工業地帯への電力供給が急務となって25年に着工した。塚原ダムの建設時に使われた索道を58kmに延長して建設資材を搬入。台風による被害に度々悩まされながら、5年後にようやく完成する。難工事の陰には105名の尊い犠牲があり、その慰霊碑が日向椎葉湖を見晴らす女神像公園に建立されている。

 この上椎葉ダムからはじまったアーチダムの建設技術は、日本のダムの歴史に燦然と輝く黒部ダムへと受け継がれていく。現在、耳川本流には上椎葉、岩屋戸、塚原、山須原(やますばる)、西郷、大内原(おおうちばる)、支流には諸塚、宮の元と8つの発電ダムが建設され、九州でも有数の電源地帯となっているのである。

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 険しい山々にかこまれた椎葉の里には、800年前の悲恋物語が今も語り継がれている。鎌倉幕府から落人追討の命を受け、この地を訪れた那須大八郎は、平清盛の末孫といわれる鶴富姫と恋に落ちる。だが非情にも帰還命令が下り、大八郎は子を宿した姫を残して旅立つ。やがて姫は女児を産み、婿を迎えて那須姓を名乗らせたという。
 この山里には二人にゆかりの地が数多くある。山肌に寄り添うように建つ鶴富屋敷は、築300年を経た寄棟造りの美しい民家。4つの部屋が一列に連なる間取りは、椎葉の民家独特の形だそうだ。近くの森には大八郎が勧請したという厳島神社があり、境内には清冽な化粧の水が湧き出している。
また国見トンネルを抜けた渓谷の左岸、集落の中央に鎮座する十根川神社は、大八郎が最初に陣屋を構えた場所。その屋根を椎の葉で葺いたことから「椎葉」の地名が生まれたという。境内にそびえる八村杉は樹齢800年、樹高54mの巨木であり、大八郎が植えたという伝説が残されている。

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 冒頭の馬見原交差点から国道218号を東に走れば、天孫降臨の神話の里・高千穂町に至る。神秘的な渓谷美が続く高千穂峡や、有名な夜神楽を毎夜、拝観できる高千穂神社など、見どころは豊富。四季を通じてにぎわう観光名所である。

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