一般社団法人 九州地域づくり協会
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ほりかわうんが
堀川運河
中間市

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:中間市中間2丁目
●完成年:着手:1621年(元和7年)
第一期工事:1623年(元和9年)中止
第二期工事:1762年(宝暦12年)完成
第三期工事:1762年(宝暦12年)完成
第四期工事:1804年(文化元年)完成
●設計者:福岡藩主:黒田長政
家老:栗山大膳
郡方元締:櫛橋又之進
●施工者:福岡藩主:黒田長政
家老:栗山大膳
郡方元締:櫛橋又之進
●管理者:福岡県北九州土木事務所
●文化財指定等:中間唐戸の水門:福岡県指定史跡
●開削水路
●延長:12.1km
●幅:18.2m~6.4m (平均幅員:11.0m)
●深さ:15.0m(車返し付近)~1.8m

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 堀川は、現在の北九州市八幡西区楠橋の遠賀川右岸取水口の寿命唐戸を起点に、中間市・水巻町・北九州市八幡西区本城を経て洞海湾に注ぐ総延長12.1km,平均幅員約11mの運河です。
この運河は、九州北部の霊峰英彦山に源を発し、筑豊平野を縦断して玄海灘に注ぐ-級河川遠賀川の洪水調節・水運・灌漑の便を図ることを目的に、筑前国領主黒田長政が開削に着手したのが始まりで、工事着手から実に183年(途中中止期間を含む)という永い年月をかけて完成したものです。
この運河開削のため河床などになった田畑は約18haに及びましたが、灌漑用水としての利用は16ヵ村約480haにわたり、嘉穂・遠賀・鞍手・穂波四郡の藩米輸送としての水運利用、また水害の防止に大きな役割を果たしました。
時代を経て、明治中期より石炭の採掘が盛んになると、堀川の役割も上納米輸送から石炭輸送に変わり、終日川ひらた(五平田船)が往来し、堀川沿線は商店の勃興と共に賑わいを見せるようになります。
明治24年に筑豊鉄道が開通すると、石炭輸送もしだいに船から鉄道へと変わり、全盛期には約13万隻/年通過していた川ひらたも急減しました。昭和13年を最後に約200年続いた水運の歴史を閉じ、本来の灌漑用及び雨水排水用としての姿にもどり、現在に至っています。近年は、生活排水など流入により河川環境の悪化が進みましたが、堀川再生など地域活動が取り組まれています。
堀川開通時につくられたのが中間唐戸(水門)で、遠賀川からの導水と水流調節の役目を果たしており、1983年(昭和58年)に福岡県の文化財(史跡)に指定されました。この中間唐戸のほかにも、車返しの切貫き(切り抜き)や吉田川の伏越など多くの遺構が堀川沿いでみられます。
交通アクセス
九州自動車道八幡ICから北へ車で15分
JR筑豊本線 筑前垣生駅または筑豊電鉄 筑前中間駅から徒歩数分

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