一般社団法人 九州地域づくり協会
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わかとおおはし
若戸大橋
北九州市
橋梁

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:福岡県北九州市若松区、戸畑区
●完成年:1962年(昭和37年)
●設計者:旧日本道路公団
●施工者:株〉横河ブリッジ
●管理者:北九州市道路公社(2005年から)
●文化財指定等:
●形式:鋼吊橋
●橋長(吊橋):680.3m(最大支間367.0m)

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 若戸大橋は、北九州市を横断する国道199号戸畑・若松間の洞海湾に架かる我が国最初の本格的吊橋で、全長2.1kmの一般有料道路(地域高規格道路)です。その真紅の大橋は北九州の象徴ともなっています。
架橋以前の交通路としては、洞海湾を約20kmも迂回するか、渡船に頼るかしかありませんでした。その渡船が昭和5年若松恵比須神社春季大祭の日に73名の死者を出すという大惨事を起こし、この惨事が直接の契機となって、昭和11年に若戸トンネルが計画されましたが、大戦のため中止となりました。
戦後、橋の構想が再燃し、昭和27年の道路整備特別措置法(有料道路制)の制定で現実のものとなっていきました。建設省の基本調査を日本道路公団が引き継ぎ、昭和33年4月に事業着手し、昭和37年9月に供用開始されました。竣工当時は東洋一の吊橋で、日本の長大橋の事始めとなりました。その後のわが国の長大橋はもっぱら若戸大橋を参考にして、設計が行われたといわれています。
昭和59年4月には、交通量の増大に対処するため4車線に拡幅する事業に着手し、昭和62年5月に歩道を廃止、平成2年3月に拡幅部の供用を行っています。主構造をほとんど改造することなく、形状変化の管理を行いながら2車線を4車線に拡幅するというわが国初の工事でした。若戸大橋は、現在都市高速道路とも直結し、若松区と戸畑区を結ぶ主要幹線道路であるとともに、若松区民にとっては、生活道路としての役割も果たしていますが、約46千台/日(平成17年度)という交通量は、朝夕のピーク時には慢性的な渋滞を起こしていて、継続的な交通課題ともなっています。
交通アクセス
JR戸畑駅から徒歩5分、JR若松駅から徒歩5分

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※当情報は位置情報のみです。施設へのアクセスが危険な箇所もありますので安全性を確認して下さい。

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