一般社団法人 九州地域づくり協会
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ちくごさんせき
筑後三堰
筑後川
堰堤

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:・大石堰:うきは市浮羽町
・(袋野堰:うきは市浮羽町
(夜明ダム上流))
・恵利堰:三井郡大刀洗町床島
・山田堰:朝倉市
●完成年:1674年~1790年
・大石堰:1674年(延宝2年)
・(袋野堰:1676年(延宝4年))
・恵利堰:1712年(正徳2年)
・山田堰:1790年(寛文2年)
●設計者●施工者
・大石堰:久留米藩 丹波頼母、
浮羽郡5庄屋
・(袋野堰:久留米藩 田代重栄)
・恵利堰:久留米藩 草野又六、
野村宗之丞、三井郡4庄屋
・山田堰:福岡藩 古賀百工
●管理者:大石堰:浮羽郡大石堰土地改良区
・恵利堰:三井郡床島堰土地改良区
・山田堰:朝倉郡山田堰土地改良区
●文化財指定等:
●大石堰:固定堰、堰長257m、階段式魚道
●恵利堰:固定堰、堰長177m、呼び水式
●山田堰:固定堰、堰長309m

河口からの距離
●大石堰:60km200m
●恵利堰:44km000m
●山田堰:55km200m

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 16世紀後半から17世紀にかけて、筑後川流域各藩では新田開発を積極的に実施し、農業用水をまかなうための灌漑事業が行われました。この時期「筑後三堰」と呼ばれる固定堰が相次いで建設され、地域の農業振興等に大きな役割を果たしました。(夜明猪の瀬の袋野堰を含めて「筑後川4大取水堰」とも呼ばれています。)
その先駈けとして1674年に建設された大石堰・大石水道は、浮羽郡の5人の庄屋(山下助左衛門・栗村次兵衛・本松平右衛門・重富平左衛門・猪山作之丞)が久留米藩に用水開削を懇願したもので、浮羽郡郡奉行・高村権内の助力を得て家老・丹羽頼母を総指揮とする藩事業として着手されました。続く1676年には田代重栄によって筑後川中流部・夜明付近の獺の瀬からトンネルを掘って浮羽郡へ導水する袋野堰が完成し、465haの新田開発を成功させました。更に1712年には三井郡の4庄屋(高山六右衛門・秋山新左衛門・中垣清右衛門・鹿毛甚右衛門)の懇願を受けた第6代久留米藩主・有馬則維が、草野又六・野村宗之丞に命じ恵利堰建設を開始しました。
この間福岡藩による反対運動があり工事は度々中断しましたが、早田村善左衛門の命がけの活動等により事業は完成し、1,428haの新田開発が可能となりました。恵利堰建設に反対した福岡藩も古賀百工の活躍により、1790年に山田堰・堀川用水を建設し、1825年の長田湿抜工事等により150haの新田開発を行いました。山田堰建設に伴い建設されたのが朝倉三連水車で、現在でも稼動しており、観光名所ともなっています。
この4大取水堰(大石堰・袋野堰・恵利堰・山田堰)は凶作に苦しむ農民を救済する為に庄屋達が体を張った命がけの事業であり、広大な筑後平野の農業生産の基礎をなしました。袋野堰は、現在夜明ダムによる貯水のため水没していますが、3堰は現在でも流域の農地を潤し、現役として大きな役割を果たしています。
交通アクセス
【大石堰】:杷木バス停から徒歩15分、五庄屋遺跡は立ち入り禁止
【恵利堰】:JR田主丸駅から4.9km
【山田堰】:大分自動車道朝倉ICから4km

Googleマップへリンク(大石堰)

Googleマップへリンク(恵利堰)

Googleマップへリンク(山田堰)

※当情報は位置情報のみです。施設へのアクセスが危険な箇所もありますので安全性を確認して下さい。

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