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はやがねめがねばし
早鐘眼鏡橋
大牟田市
橋梁

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:大牟田市早鐘町128
●完成年:1674(延宝2年)
●設計者:三池藩代官 平塚信昌
●施工者:三池藩代官 平塚信昌
●管理者:大牟田市
●文化財指定等:国指定重要文化財(建造物)
●形式:単一石造アーチ水道橋
●橋長:11.2m
●橋幅:3.15m
●スパン:10.1m
●水路深:0.33m
●水路幅:0.45m

上流近景


県道より

遊歩道より

左岸
遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 早鐘眼鏡橋は、築町から勝立に通じる道路と、炭鉱鉄道が交わる地点から北東100mのところに、大牟田川(現地では「さかさま川」という)を跨いで架けられています。
江戸時代の初め頃、諏訪川右岸の村々、今の片平町・川尻町・天領町・諏訪町あたりは用水が乏しく、しばしば干ばつの被害を受けていました。三池藩は、この対策として寛文4年(1664)大牟田川の上流にある早鐘の谷に、当時としては筑後第一の早鐘池という大きなため池を築き(1664年)、さらに用水を諏訪川右岸と大牟田左岸に灌漑するために、この眼鏡橋をかけて水路を高く通しました。
この水路橋が早鐘眼鏡橋で、延宝2年(1674)、三池藩の代官平塚信昌が中心となって架けた石造アーチ型水路橋で、この様式ではわが国で一番古いものであり、水利土木資料として貴重な建造物として国の重要文化財に指定されています。 橋の上には3方が板石で作られた深さ33センチ、幅45センチの水路が通っています。 アーチを半円型にすると橋が高くなって水流が悪く、また橋を低くした半円型にすると橋間が狭くなり、下を流れる逆川があふれて洪水の恐れがあるため、円心を2.46メートル下げた3分の1型の眼鏡橋としています。藩独自の土木技術を駆使した、日本で初めての石造水道橋でもあります。 この橋の石材は、大牟田市櫟野地方に産出する阿蘇溶結凝灰岩で構築されていますが、これに携わったであろう櫟野石工たちの名は残っていません。
わが国の眼鏡橋は、中国の僧黙子如定によって、寛永11年(1634)長崎にはじめてかけられ、やがて全国に広がったものです。この新しい橋の様式を、いち早く三池藩が灌漑工事に利用したことは、藩の産業開発についての熱意と研究の旺盛さがうかがわれると同時に、その優秀な土木技術は今も高く評価されています。
また、橋の北方約2kmの三池町には、江戸時代の末期に築造された陣屋眼鏡橋が今も残っています。早鐘堤はゴルフ場となり、眼鏡橋だけが往昔の姿を残しその事跡を伝えてくれています。
交通アクセス
九州自動車道南関ICから大牟田方面へ約30分
JR大牟田駅、西鉄大牟田駅から西鉄バスで10分「早鐘眼鏡橋」下車

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