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三池陣屋橋
大牟田市
橋梁

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:大牟田市大字新町(堂面川)
(元三池藩陣屋跡の大手門)
●完成年:1850頃(嘉永年間)
●設計者:櫟野石工棟梁金兵工・
棟梁脇幸兵衛・伊三良
●施工者:櫟野石工棟梁金兵工・
棟梁脇幸兵衛・伊三良
●管理者:大牟田市
●文化財指定等:
●一連アーチ石造橋
●橋長:11.5m
●径間(アーチ差し渡し)6.8m
●拱矢(アーチの頂上から基礎までの高さ):2.4m
●幅:4.3m
●輪石(リングストン)26個に要石(キーストン)1個の27個で構成

下流より近景


下流より遠景

右岸アバット
遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 陣屋眼鏡橋は、大字新町にあったもと三池藩陣屋の大手門前の堂面川に架けられた一連の石造橋です。輪石に密着して、それを取り巻くようにして切石がめぐらせてあり、荷重を各輪石に均等に分散している珍しい工法を用いています。
架橋前の三池藩では、6代藩主立花種周が1806(文化3)年、「隠居蟄居」を命ぜられ、三池藩は天領となりましたが、1850(嘉永3)年になって半地復封がなされ、今山、新町、稲荷、下里、一部の五カ村が下手渡藩主であった立花種恭へ返還されました。種恭は1852(嘉永5)年に三池陣屋の再建に取りかかり、眼鏡橋はこの後、完成したとみられています。
石材は阿蘇溶結凝灰岩で、大牟田の東南部、櫟野地方に広く分布しており、普通「櫟野石」と呼称されています。
この要石に「幸兵衛・伊三良」、その右四つ目の輪石「櫟野石工棟梁金兵工・棟梁脇幸兵衛・伊三良」と記銘されていることから、これら石工たちの生存年代が、この橋の構築年代と考えられています。棟梁脇幸兵衛は、櫟野の名工石丸幸助の長男として1831(天保2)年6月28日に生まれ、幸助が1851(嘉永4)年に亡くなると同年3月21日に家督を相続し、父の後を継いで棟梁脇石工となっていることから、この橋の構築年代は1851年以降とみられています。
交通アクセス
JR鹿児島本線大牟田駅から三池方面行きバスで15分、「三池新町」下車、徒歩3分、三池小学校(陣屋跡)付近
九州自動車道南関ICから南西へ車で約25分

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