一般社団法人 九州地域づくり協会
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いしいび・たふせがわ
石井樋・多布施川
佐賀市
堰堤

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:佐賀市大和町駄市川原
嘉瀬川、田布施川分流部
●完成年:1623年頃(元和年間)
●設計者:成富兵庫茂安
●施工者:成富兵庫茂安
●管理者:国土交通省武雄河川事務所
●文化財指定等:
石造り分流堰、3連の石の樋管
【石井樋を中心とした取水システム全体】
1連の樋管サイズ
●長さ:10.3m
●幅:1.4~1.5m
●高さ:1.0m

 
遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 石井樋は、江戸時代初期、成富兵庫茂安が嘉瀬川に築造した日本最古の取水施設です。
この石井樋は平時においては、佐賀城内の飲料水と川上川の下流一帯の用水を確保し、洪水に際しては嘉瀬川、多布施川流域一帯の被害を防ぐことを目的として構築されたものです。嘉瀬川の谷を流れ下った水勢をここで受けとめ、水勢をやわらげて下流に流すというその工法には大変な苦心が注がれるとともに、精緻を極めていて成富兵庫茂安の名を不朽ならしめています。その構造は、象の鼻、天狗の鼻などの石造りの水制群で水流を弱め、兵庫荒籠(あらこ)、遷宮荒籠により土砂の流入を防ぎ、きれいな水を多布施川に導入するものでした。水の少ないときは余すことなく多布施川に引き入れ、洪水のときは戸立(水門)を上げて嘉瀬川に流しやすくするなど、嘉瀬川、多布施川の水利上の重要な要になっていました。
昭和35年に上流の川上頭首工が完成したことにより、川上地点で取水された水は大井手幹線水路を経て田布施川に導かれることになり、石井樋は約350年間果たしてきた役割を終えました。その後の洪水などで、石井樋やその周辺は荒廃していましたが、皇太子ご成婚記念事業として約10年の歳月をかけて平成16年に復元され、往時の優れた水利システムが再現されました。また、この周辺は、石井樋公園、田布施川河畔公園として整備されており、学習、憩いの場として活用されています。
成富兵庫茂安の水利土木事業は佐賀藩領の全域に及んでいて、江戸時代200有余年間にわたる佐賀藩内の水利体系を作りあげる偉業をなしとげました。これは江戸時代初期における各藩に起こった殖産興業の一つの動向をも反映しているともいえます。そして、この石井樋の工法は、近世におけるわが国水利土木の一頂点を示すものとして、後世に永く記念するべきものといえます。
交通アクセス
・長崎自動車道佐賀大和ICから南へ数分
・佐賀大和ICから車で約5分
・(佐賀)市営バスイオンショッピングタウン大和バス停から徒歩約10分

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