○マリア園横の石畳(ドンドン坂)
雨が降ると流れ落ちる水が下る途中でどんどん早くなることから、こんな名前がついたという。両側の溝がU字状→三角溝→矩形断面の構造で違っているのも水量とスピードを調整するためだそうです。切石布目敷(斜)の石畳の途中には、番地を示す石標柱などがあり、マンホールを敷石の下に埋設する工夫もなされ、昔ながらの居留地の風情が残る貴重な道です。
○マリア園前の石畳
杠葉病院別館からマリア園の端の部分までで、全長約106メートル、幅約4メートルです。この部分の石畳は、明治10年初期の外国人居留地図に現れていますが、この地図では石畳は道路の一部分です。全面石畳になったのは、後の時代とみられます。この石畳は2つの点で重要です。第一は、南山手地区の石畳の敷設の状況を知る手掛りとしてです。南山手の循環道路も石畳であった可能性が強いとみられます。その証拠の一つとして、この部分が石張りであることが挙げられます。第二は、南山手地区を修景して石畳にした場合、街路景観を評価するモデルと考えることができます。南山手地区では、幅員の広い主要な道路が石畳になっている所は、この場所にしか残っていません。 |