じゅうばんひらき(きゅう)ていぼう 玉名市 所在地・完成年等 施設の形式・諸元 ●所在地:玉名市大浜町字末広開地先、 玉名市横島町横島字神崎尻地先●完成年:有明海旧干拓施設群 1605年(慶長10年) ~一番開:1807年(文化4年) ~十番開:1866年(慶応2年)●設計者:細川藩家老 有吉家、 小田手永の住民●施工者:細川藩家老 有吉家、 小田手永の住民●管理者:玉名市●文化財指定等:熊本県指定文化財(建造物) ●石積堤防●延長:約1,000m●高さ:1.5m 遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など) 有明海に注ぐ菊池川河口付近は干満の差(最高約5m)が激しく、遠浅の干潟に恵まれているため、慶長10(1605)年の小田牟田新地築造を始めとして、干拓による新田開発が盛んに行われました。特に江戸時代後期には細川藩の世襲家老である有吉家の出資により、小田手永の人々の手によって文化4(1807)年の一番開から慶応2(1866)年の十番開まで、併せて12ヶ所の新地(552.2ha)が造成されました。 近代に入ると干拓の主導権は地元地主の手へと移り、明治20年代末から30年代にかけて末広開・明丑開・明豊開・大豊開等の干拓工事が集中的に行われ、総面積は225.6haに及ぶ耕地が造成され、昭和42(1967)年に国営干拓が完了するまで、第一線の潮受堤防としての役割を果たしてきました。 当初、これらの堤防は、県内でよく見られる石積工法(基礎工として敷成木をし粘土を盛り間知石を布積み)により、主に金峰山系の安山岩と天草系の砂岩の2種の石材を使用し、最大潮位より5尺(約1.5m)高く造られていました。その後、大正3年、大正8年、昭和2年の大潮害による堤防決壊や高潮被害等のたびに補修・改修工事が繰り返されてきました。これら干拓造成に伴う総延長5㎞におよぶ潮受堤防、及び末広開に伴う樋門などには、その工法の跡などに干拓の長い歴史をとどめています。 現在は、「港いこいパーク」として整備・活用されています。 交通アクセス 九州自動車道菊水ICから南西へ車で50分JR鹿児島本線玉名駅から南へ車で10分 Yahoo!地図へリンク ※当情報は位置情報のみです。施設へのアクセスが危険な箇所もありますので安全性を確認して下さい。