一般社団法人 九州地域づくり協会
  先人の知恵と工夫を学ぶ土木遺産紹介のページです

トップページです。
県別の地図、リストより探せます。
土木遺産特集
土木遺産関連冊子
関連サイトのリンク集です。
ご意見・問合せはこちらまで。
つうじゅんきょう
通潤橋
上益城郡山都町
橋梁

image4

所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:熊本県上益城郡山都町長原
(五老ケ滝川)
●完成年:1854年(嘉永7年)
●設計者:【企画】布田保之助
●施工者:【種山石工】棟梁宇市、副棟梁丈八、甚平ら
●管理者:山都町
●文化財指定等:国指定重要文化財
●水路用アーチ型石橋
●橋の長さ:75.6m
●橋の高さ:20.2m
●橋の幅:6.3m
●アーチの径:27.9m
●石管の長さ:126.9m
●全水路延長:約46km

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 通潤橋は、惣庄屋「布田保之助」が、水の便が悪く、農業用はもとより飲料水にも事欠く白糸台地の人々の暮らしを良くするために、現代の土木技術にも匹敵する究極の技術を駆使して、1854年(嘉永7年)に築造した日本最大の水路用アーチ型石橋です。
白糸台地は、長野、小原、田吉、犬飼、新藤など8ケ村からなり、周囲を五老ヶ滝川、千滝川、笹原川に囲まれながらも深い渓谷をなしているために、架橋以前は水田はわずかしかありませんでした。
布田保之助は、この白糸台地に何とかして水を引き、豊かな実りの台地にしようと考え、隣村の砥用町にある雄亀滝橋(1817年)や霊台橋(1847年)の構造をつぶさに調べ、工夫・研究し、連通管の原理によるさまざまな実験を重ねた結果、橋の上に約1mの角石を方30cmにくり抜きつないだ石のパイプを3列に並べてこの中を水を通し、白糸台地に水を吹き上げさせることにしました。石管の目地材には、水の漏らない八斗漆喰を考案し、橋の強度を高めるために輪石の厚みを3尺にし、藩の許可を得て、熊本城の石垣の工法を取り入れた鞘石垣、袖石垣、内部に鎖石を施すなど堅牢な造りに苦心しました。
さらに水管工事では、水圧を抑えるために、取り入れ口と吹き上げ口にカーブを設けたり、耐震のため1列に4ヶ所、松の丸太をくりぬいた木管を用いたり、石管の内部にたまる土砂を流出させるための放水口のバランスを計算するなど、綿密な工夫がなされました。
この大事業により、待望の恵みの水が谷を渡り、白糸台地を潤し、およそ100町歩の豊な水田が育まれることになりました。現在も現役でこの地を潤しており、通潤橋からの壮大な放水は観光名物となっています。
通潤橋の架橋に本領を発揮したのは、種山石工と呼ばれる集団の棟梁宇市、副棟梁丈八、甚平らで、それまで会得した技術の粋を凝らして仕事に当たり、完成当日は、「この橋座り申さば腹切りてお詫び申し候」という一書を懐にしていたという逸話が残されています。 丈八は後に橋本勘五郎を名乗り、上京して旧二重橋、日本橋、江戸橋、浅草橋、万世橋などの架橋に携わったと言われています。
交通アクセス
九州自動車道松橋ICおよび御船ICより東へ車で約1時間

Googleマップへリンク

※当情報は位置情報のみです。施設へのアクセスが危険な箇所もありますので安全性を確認して下さい。

Copyright (C) 2014 Kyushu Chiikizukuri Kyoukai. All Rights Reserved