一般社団法人 九州地域づくり協会
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あおのどうもん
青の洞門
中津市
トンネル

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:大分県中津市本耶馬渓町曽木
●完成年:初代人道 1763年(宝暦13年)
明治40年再掘削
●設計者:禅海和尚
●施工者:禅海和尚 など
●管理者:大分県
●文化財指定等:大分県指定史跡
●延長:223m
●幅:5.7m
●素掘トンネル

洞門出入口


禅海和尚の像

洞門内部

洞門内の像
遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 青の洞門は、山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門(隧道、トンネル)です。削道の長さは約342m、うち隧道部分の延長が約144mです。ただ、現在の洞門は、当時からは大きく変化しており、明治40年には、ほぼ現在の洞門に近い形状で大改修が行われていますので、旧道は、明り採り窓や、洞門の一部を残すのみです。
遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれています。開削に着手した禅海和尚は、近郷近在を托鉢に廻り、その浄財を資金として、石工を雇い、或いは、村人の助成をうけました。完成したとき、その地に地蔵を安置し、遭難者や行人の安全を願い大供養を行ったそうです。以後、人は4文、牛馬は8文の通行料をとっていたそうです。洞門完成後の和尚の生活は平和な落ちついたもので、村人からは「生仏」と尊ばれて、法悦にひたる日々だったと伝えられています。
羅漢寺ふもとのリフト乗り場近くには禅海堂があり、和尚が洞門を掘るために使用した槌やノミが保存、展示されています。お墓は、香煙の絶える間がないそうです。なお、この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐のかなたに』です。
現在は、自動車を通過させるため(旧国道212号)、明治40年に再掘削され、完成当時よりかなり変形していますが、一部にノミの跡が残っており、禅海和尚の不屈の精神が偲ばれます。晩秋の紅葉の時期には、多くの観光客が耶馬溪を訪れ、青の洞門に立ち寄ります。
交通アクセス
中津市内から約14km(約30分)、日田市内から約37km(約60分)

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※当情報は位置情報のみです。施設へのアクセスが危険な箇所もありますので安全性を確認して下さい。

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