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くればし
呉橋
宇佐市
橋梁

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所在地・完成年等 施設の形式・諸元
●所在地:大分県宇佐市(宇佐神宮境内)
人道(寄藻川)
●完成年:1622年(元和8年) 明治、昭和に修理
●設計者:不明
●施工者:細川忠利
●管理者:宇佐神宮庁
●文化財指定等:大分県指定有形文化財
●橋長:24.67m
●幅員:約3m
●人道
●形式:屋根付木橋
●現在の橋の構造は5径間で、西端の桁は鉄筋コンクリート、他は木桁

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
 宇佐神宮は、全国に四万余りもあるといわれる八幡社の総本社で、宇佐八幡とも呼ばれています。現在は北側の参道が表参道になっていますが、かつては西参道の方が主参道でした。西参道が寄藻(よりも)川を渡る所に架けられた呉橋は、大きな唐破風の屋根をもち、桁、柱、長押(なげし)、腰板などは朱色、格子窓は緑、窓の上の壁は白に塗られ、華やかな配色になっています。現在は両側の扉が閉ざされ、一般の参拝者は通れないが、以前は一般の人もこの橋を渡って参詣しました。
橋は相当古い時代から架けられていましたが、その起源は明確ではありません。文献上最も古いものとしては、延慶2年(1309)に神宮が焼失したときの被害記録(西大寺文書)の中に「榑橋(くれはし)」の名が見え、鎌倉時代にはすでに橋が架けられていたことになります。また室町時代には屋根付の橋であった可能性があります。そして現存する高欄の擬宝珠に刻まれた銘から、当時小倉、中津を領した細川家によって造営されたことがわかります。
現在の姿になったのは昭和初年の国費による造営のときで、銅瓦の棟をもつ檜皮葺きになりました。橋の規模は橋長が約25m、幅は約3m、構造は五径間、西端の桁は鉄筋コンクリートで、他は木桁です。橋脚は西端の一基が鉄筋コンクリート製で、他の三基は柱、梁とも御影石が使われています。この呉橋は県の文化財に指定されています。
呉橋という名の由来もはっきりしません。その名から古い時代に渡来人によって架けられたとする伝承もありますが、根拠はありません。古くは比較的簡易な木橋であった可能性が高く、後にしだいに立派な橋となり、イメージも変化し、「呉橋」の字が当てられるようになったとみられます。
(資料:土木学会関西支部 土木のギャラリー」という財団のホームページ)
交通アクセス
JR日豊本線宇佐駅から徒歩で約10分

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