2025-08-13
『会報九州』の特集「土木遺産 in 九州」のアーカイブを更新しました!2025-04-13
「土木遺産な旅2025」と
「土木遺産な旅ノート発表会2025」
現れる、6.5kmのデ・レーケ導流堤
動く、筑後川昇開橋
そして、バスは、最終目的地である福岡県大川市、佐賀県佐賀市を繋ぐ「筑後川昇開橋(旧筑後川橋梁)」と、「デ・レーケ導流堤」へ。可動時間と導流堤の龍のような姿が現れる、干潮がぴったりとあう、奇跡のタイムスケジュールです。
デ・レーケは技術者の名
何の動力もなく土砂の堆積を防ぐ「龍」
ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)は、明治6年(1873)、政府の内務省土木局にオランダから招聘され、淀川や木曽川、大阪港などの改修に関わりました。氾濫を繰り返す河川を治めるため、放水路や分流の工事を行うだけでなく、水源山地における治水工事を体系づけ、河川改修や砂防工事の基礎を築いたことから「近代砂防の祖」、「治水の恩人」と語り継がれる技術者です。
ただ、低地の国、オランダの技術が、なぜ日本の地に活かされたのか、何の動力もなく、140年たった今も機能しているのか、みなさんの疑問にNPO筑後川流域連携俱楽部の古賀理事が、「地元に根ざした工夫」と、ガイドしてくださいました。
デ・レーケは現場をくまなく見てまわり、住民に会い、美しく肥沃な日本の村がなぜ貧しいのか、社会構造まで調べていた記録が残されています。技術だけでなく、歴史、生活文化、先祖の土地と水といった伝統と、高い見識で調査・分析を行う、まさに、現在の建設コンサルタントの手法。明治23年(1890)、川の流れを速め、堆積する土砂を下流へと流すデ・レーケ導流堤の完成によって、若津港は大型蒸気船の航行が可能となり、6年後の若津港の積み出し金額は、博多港の倍となるほどの経済成長をもたらしました。
手前上流から筑後川昇開橋、デ・レーケ導流堤と有明筑後川大橋、新田大橋
「やばっ ! 土木遺産が動いた ! 」
6.5km続く導流堤の上流にある筑後川昇開橋は、旧国鉄佐賀線の鉄道橋として昭和10年(1935)に架設されたもので、潟の軟弱な地盤に橋脚の掘削作業は困難を極め、建設には大変な苦労があったと伝えられています。橋桁は地元若津の造船所で組みたてられ、2隻の台船に乗せたまま、逆に干満を利用して橋脚に設置されました。
今回のツアーでは、昇開橋の橋桁が降り、遊歩道を歩くという貴重な体験ができました。昇開橋は、歴史を塗り替えた東海道新幹線0系電動客車、旅客機YS11、カブ号F型ホンダ自転車用補助エンジンなどとともに、「機械遺産」にも認定されています。
廃線による解体の危機を乗り越え、日本に唯一現存する、最古の昇開式可動橋の上、筑後川の風、機械音とともに、その壮大さに心震えた「やばっ ! 」なひとときでした。
鉄塔を23m、5分で上下する、その可動桁の重さは48t
あげさげするウェイトの重さは、大川市側28t、佐賀市側20t
色、構造、デザインは「準主役」
歴史に残る架橋プロジェクト
「有明筑後川大橋」
次に訪れた有明海沿岸道路の「筑後川大橋」は、「筑後川昇開橋とデ・レーケ導流堤という歴史遺産と筑後川の風景の中、それらを『地域の象徴=シンボル(主役)』とし、『準主役』として共演する」というデザインコンセプトをかかげ、架橋されました。
株式会社オリエンタルコンサルタンツの石倉副支社長による、橋梁群として景観との調和を図るために、いかに検討を重ね動いたか、貴重な現場の話しは土木の仕事を知るいい機会となりました。「横への広がりのある景観との調和」を大切にするために、国内初の「2連の鋼単弦中路アーチ橋」が採用されます。シンプルな鋼床版箱桁橋では準主役になりえない、斜張橋ではタワーの存在感が大きい。単弦だと橋桁が小さくなり、導流堤への改変が少ないなど、巨大な土木構造物ゆえ設計の判断過程を知ると、橋の見え方は大きくかわります。
自然色に馴染ませるという感性
昇開橋の赤とも調和する
筑後川の夕陽に染まる淡い桜色
部位の製作では詳細度を極めた3次元CIMモデルの技術進化など、その優美な曲線を実現するのは最新技術。そして、伝統工芸「大川組子」をイメージした吊り材のクロス配置、色は、筑後川の夕陽に美しく染まる「淡い桜色」。決定のプロセスと構造について、学生さんたちからも多くの質問が飛び交っていました。
流れの維持のためデ・レーケ導流堤に橋脚を設置することにはなりましたが、則縦桁の傾斜でより薄く軽快に見せ、橋脚の幅を抑えて「導流堤より目立たぬよう装飾をしない」という引き算の哲学のもと設計されています。また、撤去される部分は内部構造の解体調査・記録が行われた後、「大川テラッツァ」に復元展示され、長崎の小長井から運んだ石で組み上げられた、その断面は、140年前の土木技術を今に伝える貴重な遺構となりました。
その中に、見てとれる軟弱地盤でも荷重を広く分散し安定する「粗朶沈床(そだちんしょう)」は、デ・レーケがオランダの伝統的工法を取り入れたと伝えられますが、古くから九州の干拓などでも使われていました。江戸時代の九州と欧州の技術の一致。
謎に包まれた土木の浪漫です。
夕陽に染まる筑後川大橋
写真・株式会社オリエンタルコンサルタンツ
長大橋の出発点から最先端の架橋技術
3県を北上した土木遺産な旅は
これからも続きます
長崎県、佐賀県、福岡県と3県を北上し、長大橋と水をテーマに旅した1日。
石井樋の400年前から今に至るまで、変わらず機能し暮らしを支える土木構造物の永い「時」。現場を知る方々の声に耳を傾けながら、その歴史を紡ぐ、維持管理の現場も垣間見ることができた旅でした。
土木の未来を担う、学生さんたちとの土木遺産な旅はこれからも続きます。
