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FUKUOKA 10

茶屋町橋梁

福岡県北九州市八幡東区茶屋町

九州鉄道の忘れ形見の橋梁と
九州鉄道記念館の旅

1アーチのみ残る奇跡
見飽きない煉瓦のディテール

北九州市八幡東区の槻田川に架かる赤煉瓦造りのアーチ橋は、明治24年(1891)4 月に開通した九州鉄道大蔵線の橋梁として構築されたものです。
設計は、明治23 年(1890)に九州鉄道技師長に就任したドイツ人鉄道技師ヘルマン・ルムシュッテルおよび、前技師長の野辺地久記。橋梁の壁体は煉瓦の長手と小口を交互に積んだイギリス積で、アーチは煉瓦の小口を五段積にした弧型アーチ、アーチの載る迫台は花崗岩の石積み。壁面は、北側の一部分だけ一段ごとに煉瓦を迫出した「げた歯構造」とし、その市松模様の凹凸の意匠など特徴的であることが保存の要因ともなりました。
近年では将来的に複線化する際、煉瓦を継ぎ足すための構造だったと云われています。

迫受石と煉瓦

九州鉄道の旧本社屋
鉄道ファンを魅了する九州鉄道記念館

大蔵線は、海からの敵艦艦砲射撃を畏れる陸軍の猛反対を受け、内陸側に建設されましたが、その後、官営八幡製鐵所の開業にともなって、明治35年(1902)、戸畑線(現鹿児島本線)が海側に開通し、同44 年(1911)10月1 日に大蔵線は廃線となりました。美しい弧を描く姿は、奇跡的に残された姿です。
茶屋町橋梁を建設した九州鉄道は、博多駅を始め、鹿児島本線の6 つの駅が現存し、筑豊鉄道との合併により石炭輸送を担うなど、明治39 年(1906)公布の鉄道国有法の翌年まで存在した私設鉄道会社でした。現在も門司区に「九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」である煉瓦造の旧本社が現存し、「九州鉄道記念館」として多くの鉄道ファンを魅了しています。

片側だけのげた歯構造

DATA

所在地/福岡県北九州市八幡東区茶屋町

完成年/明治 24 年(1891)

明治 44 年(1911)廃線

昭和 51 年(1976)修復

設計者/ヘルマン・ルムシュッテル 野辺地久記

文化財指定等/北九州市指定史跡 経済産業省近代化産業遺産

<施設の形式・諸元>

煉瓦アーチ(欠円)

橋長/ 20.51m、単線鉄道 径間/ 9.14m