FUKUOKA 17
河内堰堤・弁室
福岡県北九州市八幡東区河内
技師沼田尚徳の
土木哲学に触れるダム
延べ 90 万人の人力
ひとりの殉職者も出すことなく
北九州市八幡東区板櫃川上流にある河内堰堤は、第一次世界大戦による鉄鋼物の需要増加にともなって官営八幡製鐵所の用水を確保するため、大正8 年(1919)に工事着工し、8 年の歳月を費やし昭和 2 年(1927)3 月に竣工しました。
総指揮者は官営八幡製鐵所の沼田尚徳。河内貯水池建設のための9カ月の英米視察を経て、「土木は悠久の記念碑」というヨーロッパの土木哲学のもと、情熱を注いだ大事業です。
施工時の型枠を兼ねた切石積の重力式含石コンクリート造り。外国人技術者の力を借りることなく、自社の土木技術や鋼材、地元の石をふんだんに使った工事となりました。貯水量は当時、東洋一の700 万トン。工事には延べ90万人の人々がたずさわったと伝えられ、8 年間の工事で、ひとりの殉職者も出すことなく完成しました。
ヨーロッパの古城のごとき石積み
「萬古流芳」永遠に名を残す
ヨーロッパの古城を思わせる石積みのダム堰堤。
技術的な構造としては温度荷重対策として、伸縮継手が堰堤縦断面方向に水平距離22.5m の間隔で6 箇所設けられ、7 ブロックに区分されているところに特徴があります。また、継手面にはコンクリートブロックが積まれ、その一部に凹部を設け、漏水防止用の銅板が埋め込まれていることもあげられます。
他の空隙部には絶縁用塗料が充填されており、100 年近くたった今も、この継手からの漏水は認められず、現役で稼働しています。
また、壁面全体に石積みをほどこした弁室の扁額「萬古流芳」は、「永遠に名を残す」という意味。鋼鉄国産に欠かせない水を送り続け、製鉄近代化の大きな原動力となった河内貯水池は今も現役で、文字通り現実のものとなっています。
DATA
所在地/福岡県北九州市八幡東区 河内
二級河川板櫃川
完成年/昭和 2 年(1927)
設計者/官営製鐵所(現、新日本製鐵 八幡製鐵所)技師 沼田尚徳、中島鋭治
施工者/官営製鐵所(現、新日本製鐵 八幡製鐵所)
管理者/新日本製鐵 八幡製鐵所(民間企業所有ダム)
文化財指定等/土木学会選奨土木遺産
<施設の形式・諸元>
粗石コンクリート(表面布積)重力式ダム
延長/ 189m
高さ/ 44.1m