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FUKUOKA 01

名島橋

福岡県福岡市東区名島

車社会の夜明け前
架橋技術の粋を集めた7連アーチ

謎多き24mもの橋幅と
御影石バルコニーの浪漫

現在のような車社会を予想し得なかった昭和8年(1933)、全長204.1m、全幅24.0mという破格の規模を誇る名島橋は完成しました。日本では、その3年前に昭和大恐慌が勃発し、失業対策として道路整備が行われ、大阪と鹿児島県庁を結ぶ第2号国道(現在の国道2号~3号)の整備が推進されることとなりましたが、その規模の大きさの由縁は、飛行場の代用滑走路として考えられていたなど様々な説が残る、謎多き橋です。
白く輝く御影石に覆われた欧風バルコニーを持つヨーロッパ風の7連のアーチ。平成6年(1994)の「名島橋修繕事業によって、親柱や照明灯なども当時の姿へと復元され、力強く優美であり堂々とした風格を今に伝えています。

渡し舟が木橋となり
6万台通過のコンクリート橋へ

地元の出資で総檜造りの立派な木橋ができる明治43年(1910)まで、多々良川を渡る手段は渡し舟でした。橋の登場で物の流れは一変し、大正時代には東洋一の火力発電所、昭和に入り逓信省航空局の水上飛行場建設と名島は活況を呈します。名島橋の設計者の後藤龍雄(福岡県第2国道改築事務所長)や七俵仙太郎(名島大橋建設事務所公務課長)を中心とした工事関係者へと託された、当時の地域の情熱を、そのスケールや意匠が物語っています。
一般国道3号として1日6万台以上の車の通行を支える、福岡市民のシンボル的な存在として愛される名島橋。隣接して上流には、10年遡って大正12年(1923)に架設された西鉄宮地岳線(現・貝塚線)の名島川橋梁があり、国道と鉄道の競演を見ることができます。

名島橋の親柱

DATA

所在地/福岡県福岡市東区名島

一般国道 3号多々良川に架かる

完成年/昭和 8年(1933)

設計者/後藤龍雄(第二号国道改築事務所長)

施工者/福岡県直営

管理者/国土交通省九州地方整備局

文化財指定等/登録有形文化財
土木学会選奨土木遺産

<施設の形式・諸元>

7径間連続鉄筋コンクリートアーチ橋

RC 充腹(石張)アーチ(欠円)

橋長/ 204.1m

橋幅/ 24.0m

支間/ 26.15m(7連)