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FUKUOKA 20

旧仲哀隧道

福岡県田川郡香春町大字鏡山

鉄道に先駆け峠を穿った
石炭・石灰の輸送トンネル

明治の隧道黎明期に挑んだ
素掘りのトンネル

北九州・京築と筑豊を分かつ山地をみやこ町から香春町へと越える仲哀峠は、日本武尊の子で神功皇后の夫、仲哀天皇が熊襲征伐の際に越えたことから、その名があります。
つづら折りが続く七曲峠とも呼ばれる交通の難所。田川郡の初代郡長・熊谷直候は京都郡との協同事業として福岡県議会に「仲哀谷隧道開鑿補助」を請願し、紆余曲折の末、明治17 年に起工します。固い岩盤、予算倍増を克服し、明治22 年(1889)に完成した仲哀隧道は、国道201 号として石炭・石灰の輸送を担った全長432m のトンネルです。日本最古の現役の国道トンネル、長野県の明通トンネルは明治23 年(1890)開通で、全長95mということからも、その歴史的な価値がうかがえます。
現在のポータルは昭和4 年に幅が3.6m から5m へと拡張された時のもの。隧道内壁の両端部は煉瓦及び石造で、その他の部分は素堀り、馬蹄形の坑口周りは花崗岩の切石で、煉瓦積みの坑門が門柱状の意匠で飾られています。

難工事を物語る岩盤

山頭火の自由旋律句
「登りつめてトンネルの風」
そして『復讐するは我にあり』

仲哀隧道が通行できた昭和初期、この地を訪れた俳人、種田山頭火は、香春から行橋へ出る際に、旧道の呉川眼鏡橋を渡り、ぐねぐねと曲った坂道を登って仲哀隧道を越えたそのときを、「登りつめてトンネルの風」と詠みました。放浪の日々を詳細に記した晩年の日記、行乞記(ぎょうこつき)の中でも、印象的な一句です。
また、昭和38 年(1963)に仲哀隧道付近で実際におこった事件をモデルにした佐木隆三の長編小説『復讐するは我にあり』が直木賞を受賞。昭和54年(1979)、鬼才、今村昌平監督によって、緒形拳主演で劇場公開となり、日本アカデミー賞など各映画賞を総なめにし話題となりました。

仲哀トンネルは、その役目を昭和42 年(1967)に開通した新仲哀トンネルに譲り、さらに南隣に平成19 年(2007)に三代目となる全長1365m の「新」新仲哀トンネルが完成します。貫通まで15 年、開通までさらに2 年という歳月が、初代の工事の苦難を彷彿とさせます。現在、旧仲哀隧道は落盤の恐れから閉鎖され、通行止のバリケードの向こう、奥へと闇が深まります。歓喜に沸いた
貫通から、時代とともに役目を終えながらも今だ存在感を放つ、山頭火や芸術家たちの心に響いた隧道の姿です。

七曲公園の桜

DATA

所在地/福岡県田川郡香春町大字鏡山 一般道

完成年/明治 22 年(1889)完成

昭和 4 年(1929)拡幅

文化財指定等/国登録有形文化財

<施設の形式・諸元>

素堀トンネル(煉瓦 + 石ポータル)

延長/ 432m

幅員/ 3.6m → 5.0m