FUKUOKA 29
山国橋
福岡県築上郡吉富町~大分県中津市
2 つの穴は県境の証
明治の煉瓦橋脚を持つ道路橋
完成当初は
上部トラス木造 + 煉瓦橋脚
英彦山の野峠に源を発し、沖代平野を通って周防灘へとゆったりと注ぐ山国川。
現在は福岡県と大分県の県境で、江戸時代は小倉藩と中津藩の藩界でした。吉富側の小犬丸村・広津村と、中津城下第一関門の小倉口の間の川幅は約220mあまり。急な瀬や満潮時の増水など、難所として知られていました。江戸時代の交通手段はほとんどが船渡し。寛保2 年(1742)に一度橋が架けられますが、その2 年後には洪水で流出。それ以後は、両岸の固定船を太い綱で繋ぎ、綱づたいに小船で渡っていました。
明治2 年(1869)1 月、広津-中津間に船を横に並べ、その上に板を敷いた船橋がついに架かります。やがて明治36 年(1903)、福岡・大分両県が架橋工事費8 万円を投じて、幅4.5 メートル、上部トラス木造、煉瓦橋脚の「山国橋」が完成。橋脚12 基の中央を県境として、福岡県側の6 つの橋脚には2 つ穴が開いています。
壊さず継ぎ足し
明治の橋脚承継の温故知新
人とものの往来は大きく変わりましたが、上部が木製ゆえに老朽化が進み、路面に穴があくなど事故も起こるようになったことから、昭和9 年(1934)、福岡・大分両県が総工費117,125 円をかけ、長さ215m、幅8m の鉄筋コンクリート製の現在の山国橋の姿が完成します。山国橋が特別なのは、煉瓦橋脚をよく見ると、橋脚を下流側へ同じ構造で継ぎ足した色の境目が見てとれます。
明治の橋脚を昭和で大切に利活用し、150 年以上を経ているのです。
現在の国道10 号ができるまでは、この橋の道が国道10 号として幹線道路の役割を果たしました。昭和35 年の山国大橋の開通に伴い、現在は県道中津-吉富線として生活道路として利用されています。
明治から昭和、両藩、両県を繋ぎ愛されてきた橋の歴史。今の時代にとっても学びがある見飽きぬ橋です。
DATA
所在地/福岡県築上郡吉富町、大分県中津市
県道中津-吉富線 山国川に架かる
完成年/明治 37 年(1904)完成
昭和 9 年(1934)拡幅
管理者/福岡県・大分県
<施設の形式・諸元>
RC 桁(カンチレバー、煉瓦橋脚)
橋長/ 214.4m
径間/ 6.5m(13 連)