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FUKUOKA 02

名島川橋梁

福岡県福岡市東区名島

福岡東部エリアの発展を支える
大正時代の16連アーチ橋

名島橋との曲線美の競演
貝塚線のシンボル600形走る

福岡市東区を流れる多々良川(名島川)に架かる西鉄貝塚線(貝塚駅~西鉄新宮駅)の鉄道橋である「名島川橋梁」。
大正12年(1923)、西鉄の前身、博多湾鉄道汽船(旧博多湾鉄道)が、貝塚線の新博多(のちの千鳥橋) - 和白間を開業するにあたり架橋した橋で、橋長211.8m、径間12.0mという伸びやかな16連アーチ橋です。
当初、海軍の産炭所があった粕屋炭田と西戸崎の石炭の積出港を繋ぐ目的で計画された鉄道でしたが、新博多駅は、福岡市内の路面電車と接続するターミナル駅として賑わい、翌年には宮地嶽間が開業。名島川橋梁の完成は、昨今の福岡東部エリア発展の鍵となる出来事でした。

連続するアーチ

鉄筋コンクリート工学の開祖
阿部美樹志設計

設計は、日本の鉄筋コンクリート工学の開祖といわれる建築家、土木技術者の阿部美樹志(あべみきし)。岩手県一関市生まれの安部は、札幌農学校土木工学科を卒業して鉄道院技師となり、土木技術を学ぶために留学、学位取得を果たすも戦争に翻弄されて帰国。その後、鉄道院へ復帰し、大正8年(1919)に開業した東京~万世橋間の高架橋など、日本初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者となり、戦後は、第2代戦災復興院総裁(現国土交通省)も務めました。
雨風に耐える鉄筋コンクリートの歴史と風情もさることながら、アーチ環上部に施したアーチを強調する突起や、スパンドレル部に設けられた三角飾りなど、秀逸な意匠も見どころです。この名島川橋梁を、昭和32年(1962)が製造初年の600形が走る風景は、鉄道ファンに愛されています。

多々良川を渡る道路橋と橋梁の風景

DATA

所在地/福岡県福岡市東区名島

完成年/大正 12年(1923)

設計者/阿部美樹志

管理者/西日本鉄道株式会社

文化財指定等/土木学会選奨土木遺産

<施設の形式・諸元>

RC 充腹アーチ

橋幅/単線鉄道

径間/ 12.0m(16連)