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FUKUOKA 36

筑後四堰

大石堰・袋野堰:うきは市浮羽町 恵利堰:三井郡大刀洗町床島 山田堰:朝倉市

大河筑後川に堰を築く
命を賭けた庄屋たちの大事業

日本三大河川のひとつ
筑紫次郎こと筑後川

筑後川は、別名「筑紫次郎」として、板東太郎こと利根川、四国三郎こと吉野川とともに日本三大河川のひとつに数えられる九州随一の大河です。しかし、流域は土地が高く、水乏しく荒廃した田畑が広がるばかりでした。
16世紀後半から17世紀にかけて、その流域の各藩で新田開発と、灌漑事業が盛んに行われ、堰が相次いで築造されます。

「極刑に処されても異存無し」
五庄屋の命を賭けた大石堰

寛文3年(1663)、生葉郡(現・うきは市)の5人の庄屋、山下助左衛門、栗村次兵衛、本松平右衛門、重富平左衛門、猪山作之丞は、大石から水を引き入れる用水開削を久留米藩に請願します。
あまりの大事業に、土木巧者として名高い普請奉行、丹羽頼母(にわたのも)を総指揮とする藩事業となりましたが、用水周辺の11ヶ村からも洪水を危惧して反対を受けます。五人の庄屋は「万一損害があれば、極刑に処されても異存無し」と命を賭けた決意を表し、筑後川本流に堰を築くという難工事を村人総出でやり遂げ、延宝2年(1674年)、大石堰(写真上)が完成しました。

五庄屋を祀る水神社

夜明ダムと蛇行する筑後川

殆ど人力の及ぶところにあらず
田代重栄父子による袋野堰

延宝4年(1676)には、大石堰の恩恵を受けない上流の村々のために、大庄屋、田代重栄(たしろじゅうえい)が私財を投じ、自ら水底へと入りながら父子で袋野堰を完成させました。金山の坑夫を雇い、夜明付近の獺の瀬から川を湾曲させるほどの岸壁に鑿(のみ)で手掘りした2.1kmの隧道によって、465haの田畑が潤いました。久留米藩士中村観濤(かんとう)から「殆ど人力の及ぶところにあらず」と称賛された、この袋野堰は、夜明ダムによる貯水のため現在は水没しています。

恵利堰と魚道

鬼ごろしと云われた急流に
一投一沈、執念で築いた恵利堰

宝永7年(1710)、鏡村(現・久留米市)の庄屋、高山六右衛門は、上流の大石堰のように水を引こうと28ヶ村で久留米藩に請願し、第6代久留米藩主、有馬則維(のりふさ)が、水利開削に長けた普請総裁判の草野又六に命じ恵利堰建設を開始しました。しかし、福岡藩による反対運動があり工事は度々中断。再開するも、「鬼殺し」とも云われた急流で工事は難航し、又六は、ついに石を満載した船数十隻を沈めて基礎を造り、数十万の大石と俵に詰めた小石を一斉に川底へと沈めました。一投一沈に水荒れ狂い、恵利堰は不完全ながらも完成をみ、佐田堰、床島堰を造ったことで新田397haを潤しました。
しかし水不足に陥る村もあれば、下流10ヶ村から配水の要請もあり、藩は正徳4年(1714)に恵利堰の改修を決定したことから、中曽の領有権を巡って福岡藩と激しく対立。福岡藩から拉致された早田村(現・久留米市)の丸林善左衛門は決して詫び状を書かず、その時の責めがもとで亡くなる事件まで起こります。苦難の連続の末に完成した床島用水の灌漑の恩恵は3,000haにも及び、草野又六と請願した庄屋と善左衛門の五庄屋は、大刀洗町の大堰神社に祀られています。

「濁流に沃野夢見る河童かな」
アフガニスタンを緑に変えた斜め堰

恵利堰建設に反対した福岡藩も、寛文3年(1663)に山田堰・堀川用水を建設し、文政8年(1825)、長田湿抜工事などにより150haの新田開発を行いました。その後、庄屋、古賀百工の活躍による大改修が寛政2年(1790)に完了し、今なお652haの農地を潤しています。
堰を水流に対して斜めに配し、激しい水圧を緩和するという百工が考案した斜め堰。その構造は、ペシャワール会代表の医師、故中村哲さんがアフガニスタンに広めた灌漑技術のモデルにもなりました。その岸辺には、令和元年(2019)、アフガニスタンで凶弾に倒れた哲さんが詠んだ「濁流に沃野夢見る河童かな」の句碑が佇んでいます。
山田堰の建設とともに造られた朝倉三連水車をはじめとする水車群は、240年たった今も廻りながら、機械もない時代を生きた先人たちの叡智を物語り、訪れる人々を魅了します。農民を救済するため、庄屋達が命を掛けた「筑後四堰」。それは、目の前に広がる肥沃な筑後平野の、大いなる礎です。

山田堰

『筑後川繪圖』筑後川歴史散策(筑後川河川事務所)
朝倉三連水車と耳納連山

DATA

<大石堰>

所在地/うきは市浮羽町

完成年/延宝2年(1674) 

設計者・施工者/久留米藩、丹波頼母 浮羽郡5 庄屋

管理者/浮羽郡大石堰土地改良区

<施設の形式・諸元>

固定堰、堰長257m、階段式魚道

DATA

<袋野堰>

所在地/うきは市浮羽町(夜明ダム上流)

完成年/延宝4年(1676)

設計者・施工者/久留米藩、田代重栄

<施設の形式・諸元>

DATA

<恵利堰>

所在地/三井郡大刀洗町床島

完成年/正徳2年(1712) 

設計者・施工者/久留米藩、草野又六、野村宗之丞、三井郡4 庄屋

管理者/三井郡床島堰土地改良区

<施設の形式・諸元>

固定堰、堰長177m、呼び水式

DATA

<山田堰>

所在地/朝倉市

完成年/寛文2年(1790)

設計者・施工者/福岡藩、古賀百工

管理者/朝倉郡山田堰土地改良区

<施設の形式・諸元>

固定堰、堰長309m