FUKUOKA 38
楠木水防林・千間土居
楠木水防林:八女市立花町からみやま市瀬高町の矢部川左岸
千間土居:八女市立花町の矢部川左岸(山下から北田)
藩境の矢部川で磨かれた
治水・利水の技術
井堰、廻水路、そして水刎
熾烈を極めた水争い
江戸時代、矢部川は「御境川」と呼ばれていました。
右岸の有馬(久留米)、左岸の立花(柳川)の両藩が睨み合う、水争いの歴史が数多く残っています。矢部川流域の灌漑面積は広く、両藩ともに用水不足に悩まされ、自領地の治水と良田開拓のために井堰、廻水路の敷設競争を上流へ上流へと繰り広げました。その結果9ヶ所もの井堰と廻水路ができたことによって美しい穀倉地帯が広がっていますが、中でも語り継がれているのが柳川藩営事業である千間土居の築造です。
70町歩を守ったクスの水防林
ホタル舞う中ノ島公園
千間土居は、元禄8年(1695)、柳川藩普請奉行田尻惣助・惣馬親子によって、矢部川左岸、山下から北田にかけて築かれた千三百間、約2.3kmの堤防です。惣助は地元の人びとを総動員して昼夜を問わず工事を行い、久留米藩から苦情が出ないほど短期間で完成させました。その血の滲むような労働の厳しさは、後世の語り草となっています。さらに惣馬は、クスの木や竹を植えて堤防を強化し、堤防より中央に突出した石積みや竹で編んだ籠に砕石を詰め込んだ「蛇籠(じゃかご)」 によって、洪水の水流を対
岸に跳ね返す「水刎(みずはね)」をつくり、今も6ヶ所ほど残っています。
そして惣馬が植えたクスは水防林としての役割を果たし、洪水から地域を守り、約70町歩(70ha)の水田が良田として蘇りました。クスは樹齢約400年といわれる巨木も見られ、千間土居から瀬高町の本川とその放水路に囲まれた中ノ島まで6km あまり。約7万2千㎡、約1,300本が生い茂る国の天然記念物「新船小屋のクスノキ林」は、中ノ島公園として憩いの場となりました。
水争いの歴史が幕を下ろし、アユやタナゴ、ゲンジボタルが生息する豊かな川をクスの老樹が静かに見守っています。
DATA
所在地/【楠木水防林】立花町から瀬高町の矢部川左岸
【千間土居】立花町の矢部川左岸(山下から北田)
完成年/元禄 8年(1695)
設計者・施工者/柳河藩普請奉行田尻惣助・惣馬親子
管理者/【中ノ島公園】船小屋温泉振興組合
【千間土居】立花町
文化財指定等/【楠木水防林】国指定天然記念物
<施設の形式・諸元>
立花町北山地区から瀬高町中ノ島の矢部川左岸約 6km
(中ノ島公園内:1300本、樹齢約 400年)
【千間土居】延長約 2.3km(1300 間)