FUKUOKA 39
大瀬橋
八女市上陽町北川内町道、星野川
重なり合う新旧の橋
石橋の景観を守る叡智
石橋の風景を残し
車交通と共存する上陽町の流儀
八女市上陽町の星野川には、明治から昭和初期までに造られた石橋が13橋架かり、大瀬橋(だいぜばし)もそのひとつ。橋長45.5m の3 連のアーチが美しく、1 連アーチの洗玉橋、2 連の寄口橋、4 連の宮ヶ原橋とあわせて「ひふみよ橋」といわれています。
大正6 年(1917)5 月に竣工し、長さ45.5m、径間12m、八女と久留米を繋ぐ県道798 号北川内草野線の大瀬橋。昭和50 年(1975)には車交通の増加問題に迫られ、コンクリートによる路面の拡幅が行われました。その3年後、川下に別のコンクリート橋が架けられます。2 本の橋脚が重なりあう意匠には、石橋の景観を守り、緻密に石積みとの調和を図った苦労がうかがえます。
勘五郎の弟子萩本卯作が
手がけた数々の石橋
架設の任には北河内の石工棟梁萩本卯作(うさく)、轟の川口竹二郎が当たり、その名が刻銘されています。
卯作は橋本勘五郎の弟子とされ、星野川支流の下横山川に架かる「鮎帰橋」や、横山川に架かる「枕橋」といったさまざまな石橋を手掛け、今も地域の人びとの往来を支えています。鮎帰橋は現在は拡張でコンクリートによって覆われ、下をのぞくとアーチ部分に輪石の石積みが見え、枕橋は路面より下は完成時の石橋の姿が残ります。
車社会の発展による利便性とせめぎあいながらも石橋を守り抜いてきた地域の人びとの信念。建設当時そのものの姿ではなくとも、維持管理によって百年を超えて使い続けることができる、先人の石工たちの土木技術に思いを馳せる上陽の石橋巡りです。
DATA
所在地/八女市上陽町北川内町道、星野川
完成年/大正 6 年(1917 年)
設計者/【監督】鶴与一、牛島参造、末継市次郎
【石工棟梁】萩本卯作(北河内)、川口竹次郎(轟)
施工者/【監督】鶴与一、牛島参造、末継市次郎
管理者/八女市
<施設の形式・諸元>
3 連石造アーチ
橋長/ 45.5m 幅員/ 3.7m
アーチ径/ 12.0m