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FUKUOKA 03

曲淵堰堤

福岡県福岡市早良区

大正12年完成
福岡市初の上水専用重力式ダム

上水道計画から34 年後
3 万 5 千人への給水からのスタート

曲淵堰堤(ダム)は、福岡市初の上水専用の重力式ダムです。
福岡市の西部を貫流する室見川の上流約18km、標高208m、着工から7 年もの歳月をかけ、大正12 年(1923)に平尾浄水場とともに完成しました。明治22 年(1889)、 福岡市制の施行とともに、明治政府の内務省衛生局の御雇外国人として来日していた英国人技師ウィリアム ・キニンモンド・バルトンらによる福岡市上水道計画調査が実施されてから、実に34 年後のことでした。
その堤高は31.2mと、近代水道の父とされる吉村長策の設計による長崎、神戸の他で初めて高さ30mを越え、1日あたりの可能給水量は1 万5 千㎥。明治以降、暮らしの近代化による水不足、コレラや赤痢などの流行など公衆衛生の問題により、水道の創設は希望の光でした。完成時、当時の福岡市の総人口14 万3 千人のうち、3 万5 千人を対象に給水が始まりました。

人口増を見据えていた設計
貯水量倍増の拡張工事

曲淵ダムは、この時すでに将来の人口増を見据え、高さ6m の嵩上げができるよう計画されていました。
堤体の表面に御影石の石垣を積上げて型枠とし、内部には粗石を投入してコンクリートを充填した重力式粗石コンクリート造り。生活の近代化で水需要は一層増し、予測通り、昭和9 年には早くも拡張工事が行われ、有効貯水量はほぼ倍となります。その際には、国内初のセメントガンによる漏水防止工事が行われました。昭和20 年(1945)の福岡大空襲による相当量の漏水を乗り越え、嵩上げ、補強工事を繰り返し、人口増とともに歩んできた福岡市水道の歴史を象徴する水源地。その人口は市町村合併も経て、令和6 年(2024)、164 万人あまりとなりました。
その御影石の布積みは悠々たる姿。春の桜、秋の紅葉とともに、曲淵ダムパークから、その全景を見ることができます。

秋の曲淵ダム

DATA

所在地/福岡市早良区

完成年/大正 12 年(1923)

設計者/福岡市

施工者/福岡市

管理者/福岡市

文化財指定等/福岡市指定有形文化財 厚生省「近代水道 100 選」

<施設の形式・諸元>

表面御影石布積重力式ダム(創設時) →

粗石コンクリート重力式ダム(現在)

堤高/ 31.21m 45.0m

堤頂長/ 142.72m 1160.6m

堤体積/ 50,000 ㎥ 53,000 ㎥

有効貯水量/ 1,422,000 ㎥ 2,368,000 ㎥