FUKUOKA 49
早鐘眼鏡橋
大牟田氏早鐘橋 128
三池藩の灌漑事業
日本最古の石造アーチ水路橋
水圧で壊れる木の樋を
石造水路橋へ
江戸時代の初め頃、大牟田市を流れる諏訪川右岸の村々は用水が乏しく、しばしば旱魃の被害を受けていました。
寛文4年(1664)、三池藩は大牟田川の上流にある早鐘の谷を締め切って早鐘池という大きな溜池を築き、用水を諏訪川右岸と大牟田川左岸に送ることにしましたが、木の樋では水圧で壊れてしまうため、延宝2年(1674)、藩の事業として石造の眼鏡橋の水路橋を建造しました。
石橋の技術を灌漑に利用した
土木技術革新
長崎の眼鏡橋は、寛永11年(1634)、中島川の氾濫で木橋が繰り返し流されるのをみかねた興福寺の僧、僧黙子如定(もくすにょじょう)が中国から石工を呼び寄せ架けた石橋です。
それから40年後、その石橋の技術を三池藩が灌漑工事に利用したのは画期的な土木技術革新でした。日本最古の石造アーチ型水路橋として、国の重要文化財に指定されています。
DATA
所在地/大牟田市早鐘町 128
完成年/延宝 2年(1674)
設計者・施工者/三池藩代官 平塚信昌
管理者/大牟田市
文化財指定等/国指定重要文化財(建造物)
<施設の形式・諸元>
形式/単一石造アーチ水道橋
橋長/ 11.2m 橋幅/ 3.15m スパン/ 10.1m
水路深/ 0.33m 水路幅/ 0.45m