
FUKUOKA 50
三池港・港口閘門・補助水堰
福岡県大牟田市
大型船による石炭輸送を可能にし
日本の近代化を支えた港

現役で稼動する
築港と閘門
平成27年(2015)7月8日、三池炭鉱関連資産は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録されました。大牟田市の三池港、そして宮原坑や万田坑の坑口から港まで輸送した三池炭鉱専用鉄道敷跡もその構成資産となっています。
明治31年(1898)、三井鉱山合名会社専務理事の團琢磨らは、リバプールなど海外各地で港湾施設や積込方式を視察し、帰国後、調査にとりかかりました。それから4年の歳月を経て工事開始となり、明治41(1908)年3月末に竣工します。4月1日、新港は「三池港」と命名されます。

閘門竣工時

三池港の閘門
干潮時でも水深8.5mを保つ
水圧可動式閘門
干満の差が約6mと大きい有明海は、大型船の着岸が難しいため、同様の海象条件があるイギリスの技術にならい、大型船が着岸できる閘門式(こうもんしき)の港が整備されました。
内港の水面は干満を繰り返しますが、ハチドリのクチバシのような長い航路の奥となる閘門内では、干潮時でも水深8.5mを保ちます。閘門の扉は2枚で、厚さ1.20m、1枚の重さは91.30t。英国テームズ・シビル・エンジニアリング社製で門扉の開閉は当初のまま水流ポンプによって操作され、当時の姿をよく留めています。

岸壁から見る閘門と航路
近代土木の叡智を照らす
光の航路
かつては、大牟田川河口から小型船で長崎や熊本の港まで1日がかりで石炭を輸送し、人夫の手で大型船舶へと積み替えてていましたが、三池炭鉱専用鉄道も明治38年(1905)に三池港まで延長され、坑口から港まで連続した石炭運搬が可能となり、海外輸出も可能となりました。
厳しい自然条件を克服しての大工事で、明治35年(1902)という近代土木の黎明期において、最先端の技術を結集して整備された三池港。港には、土木技術の先駆者たちの苦労を物語る記念碑があり、今もなお、築港と閘門が現役で稼動しています。
年に2回、1月と11月には、長い航路先端に沈む夕日が、閘門の中心をまっすぐに通って港を照らす「光の航路」を見ることができます。

DATA
所在地/福岡県大牟田市 三池港
完成年/明治41年(1908)
設計者・施工者/テムズ土木工学社
管理者/福岡県
文化財指定等/経済産業省近代化産業遺産
<施設の形式・諸元>
延長/37.5m 幅/20.12m(閘室なし)
対象/船舶1万重量トン
形式/煉瓦閘門、単純合掌戸(鋼)五門(補助水堰)
