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FUKUOKA 06

若戸大橋

福岡県北九州市若松区、戸畑区

日本長大橋の事始め
東洋一となった真紅の吊り橋

5市合併の機運の中で
架橋という希望

若戸大橋は、北九州市を横断する国道199号戸畑・若松間の洞海湾に架かる国内最初の本格的吊橋で、全長2.1kmの一般有料道路(地域高規格道路)です。その真紅の大橋は北九州の象徴ともなっています。
架橋以前は、洞海湾を約20kmも迂回するか、渡船に頼るかしかありませんでした。その渡船が昭和5年(1930)、若松恵比須神社春季大祭の日に73名の死者を出すという大惨事を起こし、この惨事が直接の契機となって、昭和11年に若戸トンネルが計画されましたが、戦争のため中止となります。
5市合併の機運を受けて橋の構想が再燃し、昭和27年の道路整備特別措置法(有料道路制)の制定で現実のものへ。建設省の基本調査を日本道路公団が引き継ぎ、昭和33年(1958)に事業着手します。

工事中の若戸大橋(毎日グラフ若戸大橋完成記念号/毎日新聞社)

海上 100m でのロープ取り付け作業 (毎日グラフ若戸大橋完成記念号/毎日新聞社)

構造を海上の真下から眺める
若戸渡船 3分の船旅

若戸大橋は、アメリカの工業地帯フィラデルフィアに架かる「ウォルト・ホイットマン橋」をモデルとしています。使われた鋼材は2万1千t。高さ85mの主塔、627mの橋桁、3万tの重量を支えるワイヤーロープ、80mの高さに対し8mmの狂いも許されなかったというケーブルを渡す橋塔。日本初のニューマチックケーソン工法による海中の橋台設置は、高圧と湧水、潜水病の危険と闘う命がけの工事でした。日本の土木工学の粋を結集し、昭和37年(1962)9月、完成に日を迎えます。その一大ニュースと祝賀ムードを、『毎日グラフ』が若戸大橋完成記念号として技術者の声を貴重な写真記録とともに伝えています。
車の急速な普及によって、昭和59年(1984)には4車線拡幅事業に着手となり、昭和62年(1987)に歩道廃止、平成2年(1990)に拡幅部の供用が行われましたが、主構造をほとんど改造することなく、形状変化の管理を行いながら2車線を4車線に拡幅するという日本初の工事でした。若戸大橋は、現在都市高速道路とも直結した主要幹線道路で、その橋桁の下をいくのは、若戸渡船。
完成当時は東洋一の吊橋で、日本の長大橋の事始めとなった橋を下から眺める3分の船旅です。

若戸渡船と若戸大橋

DATA

所在地/福岡県北九州市若松区・戸畑区

完成年/昭和 37年(1962)

設計者/旧日本道路公団 施工者/株式会社横河ブリッジ

管理者/北九州市道路公社

文化財指定等/国指定重要文化財(建造物)

<施設の形式・諸元>

鋼吊橋

橋長(吊橋)/ 680.3m 最大支間/ 367.0m