FUKUOKA 07
折尾高架橋
福岡県北九州市八幡西区南鷹見町
ねじれたアーチの煉瓦の見事
ねじりまんぽ
九州での現存はわずか 2 例
幻のトンネル工法
「ねじりまんぽ」とは、明治・大正期に建設された煉瓦構造の土木構造物で、道路が線路と斜めに交差しているために、橋への荷重が均等になるようアーチ部分の煉瓦を斜めに積み上げる工法を意味します。「まんぽ」とは関西の方言で「トンネル」のこと。
折尾高架橋は、大正3年(1914)に開通し、北九州を東西に繋いでいた九州電気軌道(現在の西日本鉄道)、北九州線の黒崎-折尾間の終点である折尾電停へと接続する軌道として当初9連つくられたもので、現在残る3連のうち1つはねじりまんぽで、径間6.10メートルは国内最大といわれています。全国でも、わずか20数カ所しか残っておらず、九州では折尾と、JR 日田彦山線採銅所-香春間にある「けやき坂橋梁」(香春町)のみとなりました。
明治の鉄道技術
関西から九州への伝播の証
明治10年(1877)、明治政府は大阪駅構内に鉄道技術者の育成機関、工技生養成所として「工部省鉄道局工技生養成所」を設立。イギリス人鉄道技師により数学・測量・製図・力学・土木学・機械学などの教育が行われ、ねじりまんぽも、この工技生養成所出身の技術者たちにより日本各地へと広がりました。
煉瓦の建造物が多く残る北九州には、製鉄の過程で生じるスラグを使った鉱滓煉瓦の技術もあり、石原煉瓦工場など良質な赤煉瓦を納めていた工場もありましたが、昭和になると、コンクリートにおされ、姿を消していきます。
アーチ坑内の煉瓦が斜めに積まれ、ねじれた時空。廃線となっても、道は続き、くぐると1世紀の時を感じて不思議な感覚にとらわれます。
DATA
所在地/福岡県北九州市八幡西区南鷹見町
西鉄北九州線、一般道
完成年/大正 3年(1914)
<施設の形式・諸元>
煉瓦斜アーチ、煉瓦アーチ
径間/(斜)6.3m、右 75度(3連)