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FUKUOKA 09

宮田山トンネル

福岡県北九州市戸畑区~八幡東区

八幡と戸畑を繋いだ難工事
製鉄・製鋼の産業化を実現したトンネル

銑鉄を運び鉱滓を送る
廃棄物活用のための陸路を

大正10 年(1921)、官営八幡製鐵所(現在の新日鐵住金株式会社)が、生産拡大のため東洋製鐵戸畑工場を借り受けます。昭和5 年(1930)、それまで海上輸送だった八幡戸畑間に全長6km の専用鉄道「炭滓線(たんさいせん)」が開通しました。
設計は、京都帝国大学で土木技術とコンクリート技術を学び、明治33 年(1900)、八幡製鐵所がまだ建設中の頃に入社し、当時、土木部長を務めていた技師沼田尚徳。昭和2 年(1927)に起工した山を突き抜ける総延長1,179 メートルの宮田山トンネルの工事は製鐵所の社員で行い、人力による掘削が昼夜をかけて進められましたが、断層と大量の湧水に阻まれながらの、たいへんな難工事でした。

八幡側のルネッサンス風ポータル

戸畑側はローマの城壁
八幡側はルネッサンス風のポータル

当時、八幡地区では鉄の製錬過程で発生する鉱滓(スラグ)の処理が課題で、専用線は、その打開策として建設されました。トンネルの坑門は、銑鉄を八幡へと運び精錬する戸畑側は花崗岩を高く積み上げローマの城壁をかたどったデザイン。一方、鉱滓と石炭灰を戸畑へと送る八幡側はルネッサンス風。大量の鉱滓は埋め立てに使われ、宮田山トンネルは、八幡製鐵所戸畑地区の拡張に大きく貢献しました。
この宮田山トンネルは、沼田が設計・施工に当たった「河内貯水池」完成の年に起工され、いずれも「3. 鉄鋼の国産化に向けた近代製鉄業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群-八幡製鐵所関連遺産」として登録されています。外国の歴史的建造様式を模した坑門の意匠には、ローマの古城を思わせる河内貯水池に通じる趣があります。
時代とともに炭滓の輸送がほとんどなくなったことから、昭和47 年(1972)、社員公募により「くろがね線」と名付けられ、今なお現役として、製鉄・製鋼の産業史を今に伝えています。

DATA

所在地/福岡県北九州市戸畑区、八幡東区

新日鉄・くろがね線〈八幡製鉄炭滓線〉

完成年/昭和 4 年(1929)

管理者/新日鐵住金株式会社

<施設の形式・諸元>

煉瓦トンネル(石ポータル、複線断面)

延長/ 1,740m 幅/ 8.3m