KAGOSHIMA 13
湊川橋
鹿児島県指宿市西方宮ヶ浜
薩摩藩に招いた家老と
三五郎の悲話が潜む石橋
完成当時は太鼓橋だった
単アーチ橋
湊川橋は、指宿市西方宮ヶ浜を流れる湊川に架けられた、橋長17.15m、幅員4.01m の石造一連アーチ橋です。
大正の初めまでは、橋の中央部分が太鼓のように丸く盛り上がっていたので「太鼓橋(てこばし)」と呼び親まれていました。現在の欄干は平成14 年(2002)に老朽化して崩れたため補修されたものです。
アーチには天保15 年(1844)の銘が刻まれ、180 年あまり経った現在も、生活道路として使用されています。
三五郎の石橋への情熱は
甲突川五石橋へ
この橋は第10 代薩摩藩主島津斉興(なりおき)の家老、調所笑左衛門広郷(ずしょしょうざえもんひろさと)が、肥後種山の石工、岩永三五郎に造らせたものと伝えられています。
三五郎は、薩摩藩が広郷の主導の下で改革に取り組んでいた天保11 年(1840)年に、広郷の進言で招かれ、各地で架橋や土木・治水工事に携わりました。三五郎は大雨の時など、身の危険などおかまいなしに濁流に潜り、一心不乱に橋台の土台の状況を調べるほど、石橋の架橋に情熱を架けていました。
湊川橋の完成は、三五郎が甲突川(こうつきがわ)に毎年一橋つづつ5 つの石橋を架けていく、前の年のこと。甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)の緻密な石積みに対して、素朴な石積みの石橋です。
DATA
所在地/鹿児島県指宿市西方宮ヶ浜
完成年/天保15 年(1844)
施工者/石工 岩永三五郎
文化財指定等/市指定有形文化財
<施設の形式・諸元>
石造アーチ橋(1 連)
橋長/ 17.15m 幅員/ 4.01m