KAGOSHIMA 27
金山橋
鹿児島県姶良郡加治木町小山田井出向地内
金山と加治木港を繋いだ
美麗な単アーチ石橋
藩の資金源だった山ケ野金山
その名も「きんざんばし」
金山橋(きんざんばし)は、加治木町(かじきちょう)小山田井出向の網掛川に架かる1連アーチ橋です。
江戸時代初期に長野村(現・さつま町)で金鉱脈が発見され、寛永19年(1642)、薩摩藩は幕府の採掘許可を得て金の産出を始め、金山は藩の重要な資金源となりました。最盛期には約2万人が働いたと云われ、金山周辺には大規模な鉱山町が形成されました。
明治時代になると、島津家は山ケ野金山(やまがのきんざん)の本格的な稼働に先駆けてフランス人技師のポール・オジェを招き、近代化を図ります。
近代化を支えた金山道
橋から眺める板井手の滝
起伏の激しかった横川街道を開削し、明治13年頃(1880 頃)、これまであった橋を金山橋として架け替えました。竪坑の掘削も行われるようになり、この金山道は、山ケ野金山から加治木港に通じる物資輸送用道路となりました。
明治37年(1904)から鉱山館長を務めた五代龍作(五代友厚の娘婿)は、シアン化カリウムを用いる青化法を導入して金の回収率を向上させ、水天渕(すいてんぶち)水力発電所を建設し、電化による効率化を図ります。戦争の激化で不要不急産業の指定を受け休山となった昭和18年(1943)まで、鉱業の発展を支えた橋でした。
金山橋は、安定感を与える壁面に持たせた傾きと、二重のアーチ環の装飾が特徴です。径間長16.3mの半円形アーチは、1連では県内最大の規模を誇ります。橋のすぐ上流には、高さ8m から流れ落ちる板井手の滝。河原からの石橋と瀑布の風景もまた、絶景です。
DATA
所在地/鹿児島県姶良郡加治木町小山田井出向地内
町道城・井手向線(網掛川)
完成年/明治13年頃(1880 頃)
設計者・施工者/野元正太他8 名
管理者/加治木町
文化財指定等/町指定文化財
<施設の形式・諸元>
石アーチ
橋長/ 22.5m 幅員/ 4.5m
支間/ 19.5m(1連) 拱矢/ 7.50m