最新のブラウザをご使用ください

古いブラウザにてご利用いただいた際に、部分的に機能が制限されたり、また正常にページが表示されない場合がございます。

KAGOSHIMA 02

穴川橋

鹿児島県さつま町宮之城屋地(穴川)

石橋の姿のままに拡張し
ダム建設に貢献した3連アーチ橋

薩摩街道の
川を渡る難所「滑」

曽木の滝、神子滝(かんこだき)とともに、川内川三轟のひとつとして数えられ、激流が逆巻く「轟の瀬」。藩政時代に、川内川を利用して年貢米を舟で運べるよう、巨大な岩を削ったといわれています。
穴川橋は、そのすぐ下流で川内川へと流れ込む穴川に架かる3連の石造アーチ橋です。江戸時代、この場所は牧園・宮之城・高尾野を結ぶ薩摩街道(現国道504号)にあって、川床は岩盤で通称「滑(なめり)」と呼ばれ、川を渡る屈指の難所でした。

川床に残る木橋の跡

特徴的な水切り

拡張された跡は
鶴田ダム建設のために

明治3年(1870)に板橋が架けられますが、5年後に石造アーチ橋に架け替えられ、大正9年(1920)、東別府佐吉により現在の3連石造アーチ橋に再度架け替えられました。径間長13.4m、拱矢4.8m、拱矢比2.8とやや扁平なアーチが3つ並ぶ姿は荘厳です。川の流水力に抵抗するため、起拱部(アーチの基礎部分)を高くして通水部を確保し、橋脚部に大きな水切りを設けたものと推察されます。
現在は歩行者専用になっていますが、上流の鶴田ダム建設の資材運搬を行う大型車輌の通行のために、拡幅補強工事が行われた際の高欄と路面が広がった構造が見てとれます。時代に沿いながら、石橋の姿は保ったままに受け継がれている橋です。

難所といわれた穴川の流れ

DATA

所在地/鹿児島県さつま町宮之城屋地(穴川)

完成年/大正 9年(1920)

施工者/(石工)東別府佐吉

<施設の形式・諸元>

石アーチ

橋長/ 44.1m 幅員/ 4.71m

支間/ 13.3m(3連)