KAGOSHIMA 07
鹿児島港 (旧)第一防波堤
鹿児島県鹿児島市本港新町
歴史ある2 つの防波堤を
見事に繋いだ明治の石工たち
薩摩藩の砲台でもあった
新波止と一丁台場
慶長7 年(1602)、島津家18 代家久が鶴丸城を本拠地とすると、城下町は発展し、海運の拠点として徐々に港の埋め立てを拡大してきました。
藩政時代から明治にかけて、数多くの防波堤、岸壁、物揚場が築造されていきました。最も古い「新波止」は、弘化3 年(1846)頃に波除けとして築造された防波堤を安政元年(1854)に延長した船形台場で、大砲17門を備える薩摩最大の砲台でした。「一丁台場」は明治5 年(1872)、海岸の埋立と同時に築造され、旧波止場の資材が再利用されています。
巻石防波堤に刻まれた
石工たちの名前
その新波止と一丁台場を連結する部分が、明治38 年(1905)に竣工した第一防波堤です。基本的には新波止の構造を踏襲し、美しい曲面を損なうことなく、周囲の景観にみごとに溶け合っている巻石防波堤のいたるところには、誇らしげに石工たちの名が刻まれています。
昭和62 年(1987)の再開発で海側が埋め立てられた現在は緑地公園の護岸となっていますが、往時の姿をよくとどめ、現在は、いおワールドかごしま水族館とともに、市民の憩いの場所として保存活用されています。
DATA
所在地/鹿児島県鹿児島市本港新町 旧防波堤
完成年/明治38 年(1905) → 平成5 年(1993)埋立で護岸化
管理者/鹿児島県
文化財指定等/国指定重要文化財、土木学会選奨土木遺産
<施設の形式・諸元>
石防波堤(巻石)
延長/ 498m
堤高/ 6.6m