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KUMAMOTO 15

永山橋

熊本県菊池市永山(菊池川、県道阿蘇公園菊池線)

名工橋本勘五郎
帰郷後に架けた明治の石橋

擬宝珠柱や丸型の欄干
木橋を思わせる明治の石橋

立門橋より東へ約2km、柱状節理の風景広がる菊池川に架かる永山橋は、熊本-菊池-小国を結ぶ小国往還の要所で、交易上重要な橋でした。
初代の橋は文政6年(1823)に、現在の場所より130m下流に架けられましたが、6年後、洪水で流失してしまいます。
現在の永山橋は明治11年(1878)に、2年の歳月をかけて造られた単一アーチ橋です。擬宝珠柱や丸型の欄干、親柱など、どこか木橋を思わせる明治初期の石橋で、棟梁は名工橋本勘五郎。その完成から140年あまりの時を経ています。

明治時代に架け直された永山橋

政府に招かれ東京へ赴いた勘五郎
帰郷の後に架けた石橋

橋本勘五郎は、もとの名を丈八といい、石工頭を務めた兄宇市のもとで通潤橋の架橋に携わった後、肥後藩より苗字帯刀を許され、橋本勘五郎と名を改めます。
明治4年(1871)に明治政府より招かれ、宮内省土木寮勤めとなった橋本勘五郎は、東京で万世橋、浅草橋、江戸橋、皇居の二重橋などを架橋します。この橋は、明治7年(1874)、重病となった妻のもとへと東京から帰郷した後に架けた橋です。
万世橋、浅草橋、江戸橋の3橋はすでに解体されて現存せず、明治時代の勘五郎の橋として学術的に貴重な石橋です。

擬宝珠柱と丸型の欄干

DATA

所在地/菊池市永山(菊池川、県道阿蘇公園菊池線)

完成年/明治 11年(1878)

設計者・施工者/石工 橋本勘五郎

管理者/菊池市

文化財指定等/熊本県指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

1連の石造アーチ

橋長/ 24.4m橋幅/ 4.6m

径間/ 20.6m