最新のブラウザをご使用ください

古いブラウザにてご利用いただいた際に、部分的に機能が制限されたり、また正常にページが表示されない場合がございます。

KUMAMOTO 01

岩本橋

熊本県荒尾市上井出岩本(関川)

橋本勘五郎が架けたと伝えられる
激動の時代を象徴する眼鏡橋

岩本番所が置かれ
架橋が許されなかった国境の要所

江戸時代、岩本橋が架かる関川は、三池往還の肥後と筑後の藩境にあたり、交通の要衝となっていました。軍事的な理由により橋を架けることは許されず、細川藩高瀬奉行所の岩本番所が置かれ、通行の監視をしていました。
人びとは歩渡り(かちわたり)していたといいます。
大雨が降ると、川が増水し足止めとなることから、仮土橋(木橋)架橋の請願が藩になされていましたが、天保4年(1833)に許しがおり、同じ年の春には、石橋の架橋のため、有志の出資が荒尾会所に納められました。

河川改修によって造られた中州

菊花紋の陽刻など
装飾彫刻が施された眼鏡橋

しかし、石橋の架橋が許されたのはさらに後となる、幕末の文久3年(1863)のこと。完成は明治2年(1869)以降の、明治維新最中の激動の年でした。
番所は廃止されて自由に通行できる時代となりましたが、最初の請願から実に30数年の歳月がたっていました。
阿蘇溶結凝灰岩である大牟田の櫟野石(いちのいし)の切岩を二重に築いて造られ、学問的にも貴重な様式です。欄干には菊花紋の陽刻があり、国宝の通潤橋や皇居の二重橋をはじめ数々の石橋を建造した名匠、橋本勘五郎が架けた橋ではないかと云われる橋です。
昭和37年(1962)の集中豪雨で岩本橋の一部が壊れ、河川改修によって現在は分水路を跨いでいますが保存状態もよく、橋脚を守るための水切りなど、間近に橋の構造を眺めることができます。

苔むした風情ある櫟野石

DATA

所在地/熊本県荒尾市上井出岩本(関川)

完成年/文久 3年(1863)

設計者・施工者/石工 橋本勘五郎(推定)

管理者/荒尾市

文化財指定等/熊本県指定有形文化財

<施設の形式・諸元>

石アーチ橋

全長/ 32.7m 幅/ 3.4m 高さ/ 7.4m