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KUMAMOTO 20

渡鹿堰

熊本市渡鹿 白川

清正の治水と利水の叡智
白川で最大の斜めに築いた堰

洪水の勢いを和らげ
効率的に取水するための構造

渡鹿堰(とろくぜき)は、加藤清正による利水施設のひとつです。
白川が大きく曲がって熊本市街地に入る地点にあり、堰が川に対して斜めに突き出したユニークな形をしています。これは、洪水の勢いを和らげ、通常時は水量が少ない白川の水を効率的に取水できるようにしたもので、取込口である大井手開水路(2.7 ㎞)から一の井手(6.2 ㎞)、二の井手(6.5 ㎞)、三の井手(6.3 ㎞)と3 つの開水路に分水する、白川水系最大の利水施設です。
最初、うまく水を引くことができなかった清正が、渡鹿の豪族、井島玄蓄に尋ねたところ、早鷹天神の神示により白鷹が現れ、一枚の羽を落とした場所に大井手を築いたと伝えられています。

斜めに築かれた堰

堰の守護神を祀る神社に伝わる
清正の腰掛石

完成後、清正は堰の守護神(水分神)と早鷹天神の分神(菅原道真公)を尊崇するようにと、水分(みくまり)神社・菅原神社を創建したと云われ、境内には、渡鹿堰の築造の監督をした際に座ったと伝えられる、清正の腰掛石があります。
築造当時の慶長年間(1596-1615)は、熊本平野1,083haを灌概していました。現在の取水堰は昭和28 年(1953)の大水害後に改修されたもので、都市化による農地の減少により、現在は熊本市南部の水田や花卉(かき・観賞用の草花)などの用水として、約300ha を灌漑しています。
さらに近年は「大井手を守る会」などの活動や環境整備事業などの実施により、地域住民の憩いの場、水や自然とのふれあいの場として利用されています。

白川で最も大きな堰となる渡鹿堰

DATA

所在地/熊本市渡鹿 白川

完成年/慶長11 ~ 13 年(1606 ~ 1608)

設計者・施工者/加藤清正

管理者/渡鹿堰土地改良区

<施設の形式・諸元>

取水堰

取水樋門

水路