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KUMAMOTO 29

霊台橋

美里町清水・美里町豊富船津 旧国道218 号(緑川)

孟子の故事に名の由来をもつ
延べ4 万人の手で造り上げた美

種山石工の宇助を棟梁に
総勢72人の石工で架けた橋

美里町の緑川に架かる霊台橋(れいだいきょう)は、単一アーチの橋としては明治以前では日本一の大きさを誇る橋です。
橋が架かる船津峡は、古来から緑川本流で最大の難所として知られ、元々は渡し舟で両岸を往来していましたが、増水の度に交通が遮断していました。木橋が架けられましたが、20年ほどの間に何度も流失。時の惣庄屋篠原善兵衛(ささわらぜんべえ)が発案、出資をし、大工棟梁万助と伴七を含む総勢42人の大工と、種山石工の祖、林七の孫である宇助を棟梁に、宇一、丈八(後の橋本勘五郎)の三兄弟をはじめ総勢72人の石工が集められ、弘化4年(1847)に完成しました。
地元の延べ4万人あまりの協力のもと、1年足らずで完成させたと伝えられます。

弧を描く欄干

嵩上げされた国道橋時代を経て
復元され創建時の姿へ

善兵衛は石橋の完成が、周の文王を慕って民衆が自らの手で喜び楽しみながら霊台(物見台)を建てたという、『孟子』の故事に通じることから、この石橋に「霊台橋」と名付けました。
霊台橋には、復元された歴史があります。架橋当時の道は、現在と同じように中央部分が緩やかに盛り上がっていました。しかし、明治33年(1900年)の県道開通に伴い、石垣を積み足して嵩上げ、補強されて水平になり、昭和27年(1952)には県道の国道昇格に伴い国道橋となります。
昭和41年(1966)、隣に2車線の鉄橋が架けられて、車輌通行止めとなるまで、バスや材木を積んだトラックも通っていた霊台橋は、翌年、国の重要文化財に指定され、長年の大型車輌の通行にも、石積みにはゆがみやずれは見られず、創建時の姿に復元されました。
船津峡の河川敷に降りて下流側を見ると、両側、堅牢な鞘石垣がどっしりと構え、違った表情を見せます。180年あまりたった今も、その美麗な姿で人びとを魅了する橋です。

下流側の鞘石垣

DATA

所在地/熊本県下益城郡美里町清水・

美里町豊富船津 旧国道218号(緑川)

完成年/弘化4年(1847)

施工者/種山石工 卯助、宇一、丈八(橋本勘五郎)ら72人

大工 万助、伴七ら27人

管理者/熊本県

文化財指定等/国指定重要文化財

<施設の形式・諸元>

石造単アーチ橋(高欄付)

単アーチ橋として最大級

橋長/ 89.9m 幅/ 5.4m 橋高/ 16.0m

径間/ 28.4m 拱矢/ 14.2m