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KUMAMOTO 02

十番開(旧)堤防

熊本県玉名市大浜町字末広開地先、玉名市横島町横島字神崎尻地先

400 年以上にわたる
歴史を物語る干拓施設群

有吉家の出資による新田開発
一番開から十番開

有明海に注ぐ菊池川河口付近は、最高約5mと干満の差が激しく、遠浅の干潟に恵まれているため、慶長10年(1605)の小田牟田新地築造をはじめとして、干拓による新田開発が盛んに行われました。
特に江戸時代後期には細川藩の世襲家老である有吉家の出資により、小田手永の人びとの手によって、文化4年(1807)の一番開から、慶応2年(1866)の十番開まで、併せて12ヶ所、552.2haの新地が造成されました。
近代に入ると干拓の主導権は地元地主の手へと移り、明治20年代末から30年代にかけて末広開・明丑開(めいちゅうかい)・明豊開・大豊開などの干拓工事が集中的に行われ、総面積は225.6haに及ぶ耕地が造成され、昭和42年(1967)に国営干拓が完了するまで、第一線の潮受堤防としての役割を果たしてきました。

石積工法の潮受堤防

金峰山系の安山岩と
天草系の砂岩による石積工法

これらの堤防は、熊本県内でよく見られる石積工法(基礎工として敷成木をして粘土を盛り、間知石を布積みする工法)により、主に金峰山系の安山岩と天草系の砂岩の2 種の石材を使用し、最大潮位より約1.5m高く造られていました。
その後、大正3年(1914)、大正8年(1919)、昭和2年(1927)の大潮害による堤防決壊や高潮のたびに、補修・改修工事が繰り返されてきました。
これら干拓造成にともなう総延長5㎞におよぶ潮受堤防と末広開に伴う樋門などは、その工法の跡に干拓の長い歴史をとどめています。

干潮の有明海

DATA

所在地/玉名市大浜町字末広開地先、

玉名市横島町横島字神崎尻地先

完成年/有明海旧干拓施設群

慶長 10年(1605) ~ 一番開/文化 4年(1807)~十番開/慶応 2年(1866)

設計者・施工者/細川藩家老 有吉家、小田手永の住民

管理者/玉名市

文化財指定等/熊本県指定文化財(建造物)

<施設の形式・諸元>

石積堤防

延長/約 1,000m 高さ/ 1.5m