KUMAMOTO 32
天門橋
熊本県宇城市三角、上天草市大矢野(国道 266 号、三角の瀬戸)
離島架橋の幕開けとなった
天草五橋の 1 号橋
始まりは昭和 11年
「天草に橋を架けよう」
熊本県宇土半島の三角から、天草諸島の大矢野島、永浦島、池島、前島を経て天草上島を結ぶ天草五橋は、昭和41年(1966)9月24日に開通しました。
昭和11年(1936)、湯島出身で熊本県議会議員だった森慈秀は、背中に家紋をあしらったモーニングスーツを羽織り、県議会の席上で「天草に橋を架けよう」と発言しました。日本にはまだ天草諸島に橋を架けるほどの技術力はなく、実現は不可能と一蹴されましたが、天草架橋期成会の活動とともに、その執念は実を結び、旧日本道路公団が昭和37年(1962)に起工。4年の歳月をかけて、5本もの架橋が現実のものとなります。
その1号橋は、天草のゲートウェイとして天門橋(写真上の右)と名付けられました。
異なるデザインと構造の五橋
一大観光名所へ
1号橋の天門橋は、全長502mの鋼3径間連続トラス橋で、当時、中央の支間長300mは世界一でした。橋の両脇には、幅60cm ほどの歩道が設置され、壮大な三角ノ瀬戸の景色を楽しむことができます。
2号橋の大矢野橋はランガートラス橋、3号橋の中の橋はPCラーメン橋、4号橋の前島橋は、PCラーメン橋、5号橋の松島橋はパイプアーチ橋と、全て構造が違う橋の現場に全国から技術者たちが集いました。橋梁全長の合計は1,800m、その事業費は32億円。有料橋として39年での償還予定でしたが、大矢野島-松島間は、海に眠る無数の養殖真珠から「天草パールライン」と命名され、瞬く間に一大観光地となります。島の暮らしも一変し、わずか9年で償還完了し通行無料となりました。
天草五橋の完成は、離島架橋の希望であり、幕開けだったのです。
調和する新旧の構造
天空橋と天城橋
一方、九州本土と離島を結ぶ唯一の陸路であったことから、渋滞や事故がおこった時に通行できない事態も起こっていたため、国道266号大矢野バイパスが計画されます。その一区間として、平成30年(2018)5月20日、天空橋のすぐ北側に車専用道路の新橋が開通します。
天門橋のすぐ横という厳しい条件下で、アーチ部は鉄塔から斜めに張ったケーブルで支えながら架設していくケーブルエレクション斜吊工法が採用され(写真下は工事風景)、PC 桁は橋脚から海側・陸側へ同時に張り出していく片持架設工法がとられました。
ハの字を描いて近寄っていく新旧の橋。歴史ある天門橋の構造と調和したアーチ橋は天城橋(てんじょうきょう)と名付けられ、青く透き通った海を跨ぎ、昭和11年(1936)、天草に始まった離島架橋の歴史を語り継いでいます。
DATA
所在地/宇城市三角、上天草市大矢野
(国道 266号、三角の瀬戸)
完成年/昭和 41年(1966)
設計者・施工者/旧日本道路公団((株)横河ブリッジ)
管理者/熊本県
<施設の形式・諸元>
鋼 3径間連続トラス橋
橋長/ 502.0m 最大支間/ 300.0m