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KUMAMOTO 34

本渡祇園橋

熊本県天草市船之尾町

架橋 190 年を越えた
45 の脚をもつアーチ型石橋

角材を並べた路面は
まるで板橋のような構造

天保3 年(1832)に建造された多脚式アーチ型石橋で、45 脚もの角柱によって支えられている全国的にも珍しい造りです。
橋の規模は、橋長28.6m、幅員3.3m で、70 ~ 80cm ほどの反りがとられています。10 径間よりなり、石柱の上に梁を乗せ、その上に約30cm 角の角材10 本を橋軸方向に並べて路面を作っていて、桁橋というより板橋と同じ簡易な構造になっています。正式な橋名はついていませんが、横の左岸側に祇園社が祀られていることから、通称祇園橋と呼ばれています。

角材を並べた路面(現在は通行止)

オランダ坂の石畳を敷設した
石工を棟梁として

この場所は本渡から西、北方面への往還にあたり、以前から土橋が架けられていましたが、しばしば流失したため、石橋が計画されたと考えられています。町山口村の庄屋、大谷健之助が発起人になり、3 人の商人を世話人として事業が進められ、下浦村(現・本渡市)の石屋辰右衛門を棟梁にして完成されました。
石屋辰右衛門は長崎のオランダ坂の石畳敷設に関わっていたと云われる石工です。石材は下浦に産する砂岩で、加工しやすいため墓石や鳥居などに広く利用されています。祇園橋がアーチ橋ではなく、桁橋とされた理由としては、河口部の比較的平らな場所であり、アーチ橋ではかえって水の流れを遮る面積が大きくなること、そして近くで桁橋に適した棒状の石材が得られたことなどが考えられます。
長崎の石文化との交流の歴史がある本渡市(現・天草市)には、楠浦眼鏡橋、志安橋、施無畏橋(せむいばし)、市ノ瀬橋など昔の石橋も数多く残っています。

八坂神社の鳥居と祗園橋

DATA

所在地/天草市船之尾町

完成年/天保 3 年(1832)

設計者/発起人 町山口村の庄屋大谷健之助

世話人 3 人の商人

棟梁 石屋辰右衛門(下浦村(現・本渡市下浦町))

管理者/天草市

文化財指定等/国指定重要文化財

<施設の形式・諸元>

多脚式アーチ型石橋

橋長/ 28.6m

橋幅/ 3.35m