KUMAMOTO 44
津奈木重盤岩眼鏡橋
熊本県津奈木町大字岩城字城
石工三平が技で恩を返した
薩摩街道に架かる橋
岩永三五郎の弟
石工三平が架けた橋
嘉永2 年(1849)、津奈木総庄屋、江籐三郎左衛門為経の尽力で架けられた一連の石造アーチ橋です。橋のすぐ北側にそびえる岩山、重盤岩(ちょうはんがん)にちなみ、津奈木重盤岩眼鏡橋と呼ばれています。
石工は岩永三五郎の弟三平です。
石工三平は岩永三五郎とともに薩摩藩に招かれて、甲突川の西田橋や武之橋など数多くの名橋を手がけています。しかし、橋が完成すると秘密保持のために石工を永送り(暗殺)するという噂が流れ、三五郎は、いろいろな口実で石工たちを藩外に逃れさせました。
奇岩重盤岩を背景にした
旧薩摩街道
三平は、途中で追っ手に襲われ瀕死の重傷を負いましたが、津奈木の人々によって手厚く看護され、その恩返しに自分が持っている技術を人々のために生かそうと、この眼鏡橋を架けたと伝えられています。高さのわりに径間が長く、実に優美に見えます。輪石が大きく湾曲しており、欄干の狭間石には倒れたとっくりとふたつの盃といった面白い彫り物が見られます。
この石橋が架かっている道は旧薩摩街道であり、西郷隆盛や坂本竜馬も通ったであろう石橋です。現在でも情緒ある歴史的雰囲気を残しながら、奇岩重盤岩を背景に、地元の小学生の通学路や住民の生活道として利用されています。
DATA
所在地/熊本県津奈木町大字岩城
完成年/嘉永 2 年(1849)
設計者/岩永三平
施工者/岩永三平
管理者/津奈木町
文化財指定等/熊本県指定文化財
<施設の形式・諸元>
一連の石造アーチ
橋長/ 18m
橋幅/ 4.5m
径間/ 17m
拱矢/ 5.7m