
KUMAMOTO 47
轟水源・轟泉水道
熊本県宇土市神馬町
轟水源を馬門石の樋管で導く
現役で日本最古の上水道

1日約3,000tもの
豊富な湧水量
宇土市の轟水源から湧き出る水の量は1日約3,000tと豊富で、年間を通して水温は16度。気温差によっては池の周辺に霧ができ、幻想的な風景を見ることもできます。
水源の南西にある、大岳という火山岩からできている山に降った雨が、火山岩の割れ目を通り平野部との境界で湧出していると云われています。

轟水源
松橋焼の土管から
石の樋管へ
江戸時代の宇土市の水事情は、井戸を掘っても塩水が出たりと水質が悪く、飲用水に困っていました。宇土藩第二代藩主、細川行孝は、この轟水源の水を引くために、松橋焼(まつばせやき)の土管による轟泉水道(ごうせんすいどう)を建造します。その規模は4.8kmにもおよび、寛文3年(1663)に完成しました。
その約100年後の明和6年(1769)、第六代藩主、興文が、破損が激しかった土管を阿蘇溶結凝灰岩の馬門石(まかどいし)の樋管に改修。現在も江戸時代の補修方法で維持され、使用されている中では、日本で最古の上水道と云われています。
現在も100戸あまりの上水道として利用されているほか、水を汲みに来る人の姿も絶えません。肥後三名泉の一つで、環境省指定の「日本の水百選」に選定されています。

DATA
所在地/熊本県宇土市神馬町
完成年/貞享4年(1687)
施工者/第1期 寛文3年(1663) 不明
第2期 片山藤左右衛門
管理者/轟泉水道管理組合
文化財指定等/宇土市指定史跡
<施設の形式・諸元>
石積み護岸
全長/幹線3,150m 総延長4,800m
管の大きさ/第一期の瓦質管45cmと30cm
湧水量/1日約3,000t
