最新のブラウザをご使用ください

古いブラウザにてご利用いただいた際に、部分的に機能が制限されたり、また正常にページが表示されない場合がございます。

KUMAMOTO 04

明丑開(旧)堤防

熊本県玉名市横島町

大正、昭和の潮害による
復旧と改修の歴史を伝える堤防

4つの堤防が次々に決壊した
大正 3年の台風被害

熊本県玉名地方では、個人による干拓が認められるようになった明治20年代末から30年代にかけ、末広・明丑(めいちゅう)・明豊・大豊開などの干拓工事が次々に行われ、4つの干拓地の潮受堤防がほぼ連続的に築かれています。
大正3年(1914)の台風は、熊本県に甚大な被害をもたらしました。23日に大豊開、明豊開堤防、25日には末広開、明丑開などの堤防が, 次々に決壊し、横島町、大浜町の多くの水田が水没します。大正8年(1919)、昭和2年(1927)にも、それを上回る規模の潮害に見舞われますが、昭和4年(1929)に改修され、昭和42年(1967)の国営横島干拓事業の完成まで、一線の堤防として横島町の耕地を守ってきました。

潮に耐えた跡

延々と続く
人力による高さ6mの石積み

明治26年(1893)に完成した明丑開(旧)堤防は、高さ5 ~ 6mの堤防が延長約1.4km。他3つの堤防と合わせると、その総延長は約5.2kmにも及び、万里の長城ともいえる景観が広がります。
長い歴史の中で、潮害による復旧と改修の苦難を乗り越えながら農地を拡大してきた「旧玉名干拓施設」として、国指定重要文化財に指定されている堤防です。

改修された時期で石積みが違う堤防

DATA

所在地/熊本県玉名市横島町

完成年/明治 26年(1893)

昭和 4年(1929)改修

文化財指定等/昭和 4年(1929)改修

<施設の形式・諸元>

石堤防(コンクリートと混在)

延長/約 1.4km 高さ/ 5 ~ 6m